あかんたれブルース

継続はチカラかな

ちょっとS的な愛情確認

『手と声の輪』第4回2部〜テーマ「虐待(or体罰)」(5)
この記事は、『手と声の輪』
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha春紫苑『Hand In Hand』参照)
企画として書いた記事です。


思春期で一番ショックなことは
自分の親が世界で一番すばらしい人ではない
ことを知るときではないだろうか。
というか、認めざるおえないことかな。

「なんて罰当たりな!」

という方もおられるでしょうが
まあ、人それぞれ色々ありますよ。
そんな力業だけで往けたら世話ないやな。

これはある意味で親を一個人として認めることでもある。
親の人格を認めることだな。
こう書くと納得してくれるのだろうか。
世話のやける人たちだ。

でもさ、これは思春期の、せいぜいその前あたりでの話。
年端のいかない子供にそれを突きつけるのは酷ってものです。
幼児虐待にはそういう酷がある。


報道などでそれを知ると、憤る。
でも、次の瞬間にその子たちにとて、
加害者が実の親である事実を噛みしめるものだ。

虐待から躾に名を借りた暴力、について
「自信」の無さをピックアップしました。
この事はもっとひろくおおきく宣伝されていいと思う。
その迂闊さに冷や水を浴びせる効果的なものだからだ。

とは別に
人間のなかにあるサディズムというものを考えたりします。
それは単純なものではない。
わたしにもある。

息子とようやく会話が成立するようになって
たくさんのお話をします。
この子と人生について話すのはいつの頃だろう。
まだまだ時期尚早とはわかっていても
ついつい気は早やってしまうものです。

パパはね、お前に伝えておきたい。
この世の仕組みを、人の世の力学を、人生の罠の所在を・・・
そういうのを段階的にオブラードに包みながら話してあげたい。
歳がいってからの子供だから可愛いです。
はたして息子が成人して力になれるだろうか。

そんなことを考えながら、ふと

「ねえパパはいつまでも生きているわけじゃないんだよ。
 Kちゃんより先に死ぬんだ。いなくなるんだ、必ずね」

なんて言ったりする。
すると幼い息子が不安な表情を浮かべます。

それが嬉しかったいする。

そういえば、わたしの母親もよく言っていたなあ。
「母ちゃんが死んだらどうする?」
幼い頃、布団のなかで母の胸のなかで聞いた
とてつもなく意地悪な質問。
まだ、しっかりと憶えているから、相当に強烈だったんでしょう。
薄暗い寝室でのことで母親の表情はわからなかったけれど
ニヤニヤしていたんじゃないかな。
いまじゃねえ、八十を過ぎて耄碌婆ですけどね(笑)
なんであんなに好きだったんだろうねえ。


こういったサディズムもあるわけです。
愛の確認でしょうか。
それともこれも「自信の無さ」ってする?
いや、それじゃあ味気なさ過ぎだよね。


たまたまですが、さっき久々に訪ねた友人が妊娠したそうです。
こういう時代なので子育ても大変だとは思いますが、
完璧を目指さずに楽しんでほしいです。
可愛いからね。うんこだって汚く感じないから不思議だ(笑)
可愛がって可愛がって、そして
そのうち
「ねえ、ママが死んだらどうする?」って
子供を恐怖のどん底に陥れるのもよろしい。
親と子の閨の秘め事、もしくは湯船の戯言・・・
そして、恨まれる、わけだ。

これは期間限定です。
今言っても相手にされなさそう(涙)。
Kちゃんはパパより友達に夢中です(汗)。
さびしいようなうれしいような・・・複雑な親心


『手と声の輪』第4回2部〜テーマ「虐待(or体罰)」(5)
この記事は、『手と声の輪』
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha春紫苑『Hand In Hand』参照)
企画として書いた記事です。