あかんたれブルース

継続はチカラかな

ルソーは話半分でいい。

『手と声の輪』第4回2部〜テーマ「虐待(or体罰)」(6)
この記事は、『手と声の輪』
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha春紫苑『Hand In Hand』参照)
企画として書いた記事です。


一昨日、昨日と危ない内容の記事が続いております。
緊張してるよ。これでも真剣なのだ。

昨日の記事などは意見が分かれるとも思う。
そんなとき、盟友ルイちゃんの存在はわたしの光です。

「てなわけでね、物議を醸すと思うが・・・どうでしょう?」

「そうなるやろうね」

「ルイちゃんはやらなかったの?」

「やったがな。子育ての最大のお楽しみやないの
 四人とも全部やったで。血流して死体になる」

「血・・・? 死体?」

「トマトケチャップ口にふくんでベットに仰向けになるんや」

「えっ・・・(汗)」

「『おかあさーん!』って泣け叫んでも絶対に起きたらへんねん」

「そ、それもまた念の入ったおとで(汗)」

「命の大切を知る学びや」

「楽しんでる?」

「うん」


とまあ、そんなわけで完璧な親を目指さなくても
これくらいのおバカ母ちゃん父ちゃんで十分子供は育ちます。
現代の子供の教育にはルソーの影響が多大にありますが
あいつは自分の子供をみんな孤児院に放り込んで
育児放棄した机上の理論家ですから話半分ですよ。
あとの半分は馬ちゃんルイちゃんの「オバカミール」を推奨します。
これは決して
子供の人権や人格を否定するものではありません。
というか子供は本来、未熟なものなのだ。
「エミール」の主張もあるけれど、よし姉さんが提唱する
「サルやサル!」の雄叫びに真実味がある。

よし姉さんやルイちゃんは
どんなことがあっても我が子を守るだろう。
絶対に、なにがあっても。
そういう骨太の母性や父性なのだと思うのです。

それにさ、プレッシャーとかストレスを回避させようとしても
所詮無理ってものです。社会には厳然としてそれはある。
どんな理想社会を構築しても、ある。
えっ?理性?
それはプレッシャーとかストレスがあるから芽生えるのだ。
それがなかったらうんこ垂れ流しだ。
そういったものが問題にされるのは過ぎるからであって
本来、プレッシャーとかストレスが悪ではない。
長嶋茂雄も言ってたじゃないか、
プレッシャーを楽しめって。
そういうなかで、(自)個と他の共存共生の社会性というのが生まれる。

教育とは、そういう社会性を学ばせることでもある。
また、進歩や進化や目的を否定するのは無理がある。
結果として老荘に行くならそれはそれでいいのでうが、
停止や逆行は絶対にできない。なぜなら
わたしたちは時間の流れのなかで生きているからだ。

虐待または体罰をテーマび長々と語りまいたが
要は加減と解釈にあると思う。
そこに個人差があるから難しいのでしょう。
だからマニュアルも必要なんだとも思う。ただし、
そのマニュアルが不完全であったり、それに頼りすぎるから
色々と弊害が生まれる。

子育てってものは楽しいものです。
それがそうでないことが最大の問題だ。
そこには社会環境と個人環境の両側面の問題がある。
前者の問題は大きいけれど
これの是正にはなかなか時間のかかると思う。
それは平行して変えるとして
まず即できる個人の問題から解決しましょうよ。

パーフェクトを目指すんではなく
愛をもって子育てを楽しもう。


『手と声の輪』第4回2部〜テーマ「虐待(or体罰)」(6)たぶんここで手仕舞い
この記事は、『手と声の輪』
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha春紫苑『Hand In Hand』参照)
企画として書いた記事です。