あかんたれブルース

継続はチカラかな

ゴジラの堕落とウランちゃん絶唱



幼い頃の断片的な記憶がいくつか残っています。
そのなかで、幼稚園の低学年の頃でしょうか
テレビの予告で新番組「鉄腕アトム」の
放送のお知らせ(静止画で当然モノクロ)があった。
たしか木曜日だったと思う。
わたしは早合点して金曜日だと思い込んだですが、違った。
楽しみにしていたのに金曜日には放送がなかった(涙)
ダダをこねて泣きました。母親を困らせた。
そのとき母親が優しいんだよな。優しくなだめてくれた。
鉄腕アトムは翌日の土曜の7時から。提供は明治製菓だった。

いま、調べたら放送開始は1963年(昭和38年)ですって
ということはわたしが4歳のときの記憶なわけですね。
いや、放送日が1月1日ですから
まだ3歳だ。泣いたのは37年の12月31日ということになる・・・
おかしいな大晦日とか正月じゃなかった気がする。
どうせ、田舎だから放送が一、二週間ずれてたんでしょ。ケッ

ま、そういうことで
21世紀の未来を舞台に、原子力(後に核融合)をエネルギー源として動き、
人と同等の感情を持った少年ロボット、アトムが活躍する物語。
米題は『ASTRO BOY(アストロ・ボーイ)』。(ウィキペディアより)

が登場します。
テレビアニメのはしりですね。
鉄人28号エイトマン、スーパージェッターはその後です。

こういう感じで私達にとって原子力は輝ける憧れの未来の科学として
受け入れられるわけです。
普通の常識として、それが危険だなんては思わなかった。
それは手塚治虫も同じでしょう。

アトムの兄は「コバルト」、可愛い妹は「ウラン」ちゃん。

わたしの初恋は幼稚園で「ウラン」ちゃんにそっくりの桃子ちゃんでした。
実は今でも付き合いがある(汗)
医者と結婚して、ハイソな嫌な性格の婆になっている。
俺と結婚していれば、そんなことにはならなかったのに・・・ウランちゃん(涙)

さて、ゴジラはどうなった?

わたしが最初に観たのは『地球最大の決戦』(1964年)だから
5歳のときですね。もの凄いショックを受けた。電気が走った。
キングギドラの中には、いったい何十人の人間が入って動かしているのか
絵を描いて見積もりしていたものです。
首が三つあるから下から肩車して口をパクパクさせていると思ったのでしょう。
可愛いねえ。

二つ年長の幼友達はこの前作『モスラ対ゴジラ』(同じ1964年)を観ている。
この第四作と第五作の違いは大きくのだ。
それまでゴジラは「悪玉」だったのですが、この第五作で「善玉」に変節する。

そこに、GIAとか正力とか電事連とかの陰謀・圧力があったかというと
まあどうだかわかりませんが、それよりも第二作から
アンギラス、キングコンゴ モスラ
と対決モノになってすっかり子供達のアイドルになったゴジラ
東宝マーケティング戦略として善玉に仕立てただけでしょう。

後発のガメラ大映)なんかは最初から子供の味方でしたからね。
それでもギャオスは恐かった。超音波破壊光線は痛そうだし、第一人間喰うからね!

しかし、ここからゴジラの堕落がはじまる。
子供に迎合させて、間抜けになっていく。ちっとも恐くない。
恐くないとダメなのだ。

そして1970年・・・万博 ここで流れが一気に変わる。

高度成長、もう戦後ではない・・・そして公害問題だ。
その翌年、ゴジラヘドラ(ヘドロから生まれた公害怪獣)と戦う。
中一になっていたわたしはもうゴジラには興味を失っていた。
朝のニュースでは水俣病を連日報道していました。
鹿児島は熊本と隣り合わせですからね、関心も高かったと思います。

そして、オイルショックが来た。