あかんたれブルース

継続はチカラかな

『JIN~仁~』最終回の救いと残酷

『JIN~仁~』最終回を観て想う(2)

昨夜、『JIN~仁~』最終回を観ました。
原作とは違う、ということで
わたしだけじゃなく
読者視聴者の関心はどういった決着となるか
気を揉んだことかと思います。

22時をまわった頃
南方仁と橘咲の手が離れた演出、の場面に
無常の予感
に襲われた方々は多かったのではないでしょうか。
甘い期待を打ち消すように
パラレルワールドと歴史の修正力で
約束通りの結末となりました。

咲の記憶が消えていることが救いだったかな。
これを、
救い。といっていいのがどうか・・・

忘却によって私達は救われる。
なんとも皮肉なものです。

カタチあるものは壊れる。いや正確には、変わる。

そのくせ永遠を求めます。永遠の愛を求める。
私達の人生は儚いものだ。
そのなかで残せるとしたら、記憶だけだと思う。

それが失われてしまうのだ。
救いというのがなんとも残酷でもあり、
でなければ気が狂うほどに打ちのめされる。
その後の長い人生を過ごす過酷さを想えば気が遠くなります。

皮肉なものだなあと思いました。


南方仁はタイムトラベラーとして未来を知っている。
けれども、歴史を変えてはいけない躊躇と
変えられないジレンマがありましたね。

わたしはタイムトラベラーではありませんが
似たような経験があります。
たとえば、自分に対してであれば
こうなると予測できてもそれを変えられない
ときがあります。
ああ、だめだなあ。だめになる。とわかっていても
その流れを変えられないときがある。
外からの力もそうですが、自分でそうしてしまっている
ときがあります。なんとも不思議なものです。

また、
色々な相談を受けたり、関わり合いのなかで
それはやめたほうがいいとか
こうしたほうがいいよとか
まあ色々あるとするじゃないですか。
無論、自分が絶対とか思ってなんかいまえんよ
どう判断していいかわからないことのほうが多い。
そのなかでも、
これは絶対にヤバイマズイってことはある。
自分の事は棚に上げてですけどね(笑)

岡目八目で他人のことはよく観えるものなんでしょう。

でもほとんどの場合、相手はヤバイマズイ選択をすることが多い。
それはわたしからみての判断ですけどね。
そういうケースが多いものです。

そういうときに少しだけ南方仁の気持ちがわかります。

いったいなんなんだろうなあって

宇宙というかこの世界というか
人生とか、そして
自分って
意味あるのかなあ? って


意味はあるんでしょうね。
すべては思い込みのなかにあり
すべては記憶だけ
これが私達の人生であり、私達のすべてだ。

だから、記憶が消されたことは
救いでもあるけれど

残酷だなあ、と思った(涙)