あかんたれブルース

継続はチカラかな

蕎麦屋に死す



アメリカンスピリットの黄色を一本取り出して咥えた。

と同時に、トリガーを引くような音がした。
横合いから小さな炎が差し込まれる。
ジャックはそのライターを奪うと
改めて自分で火を点けた。

「あれから大変な騒ぎだったのよ。はいこれ
 ジェシカのドレスのクリーニング代と美容室代ですって」

ミロンゲから渡された二通の請求書とは
「白洋社」と「パーマ美波里」のレシートだった。

ポケットにそれを押し込める。

「チェーリーパイと店の清掃代は顧問料から差し引いておくわ」

「悪いなミロンゲ」

「お願い、その名前でよばないで。
 ワタシはミリンダで通っているの。ここはモロッコじゃないのよ」

「そうだった。ミリンダペプシコ、だったな」

「葉書が来ているけど」

「読んでくれ。目がモヤって細かい字が読めないんだ」

「シアトル在住のハンドルネーム「土左衛門」さんから
 『ジャックさん今日は。いつも楽しく読んでます。
 先日、友だちが『否定を封印してすべて肯定する』と
 宣言していました。僕にはよくわかりません。
 ジャックさんは常々、
 『己を肯定するために相手を否定するのはゲソだ』
 といってますが、どう思われますか?』だって」


「それはストイックだな」

「あら、ワタシにはあなたのほうがよっぽどストイックにみえるけど」

「否定することを否定することは、否定である」

「なにか禅問答ね。
 また難しいってヨシネゲロからクレームがくるわよ
 あなたち真宗門徒でしょ」

「答えを性急に求める力業だってことさ」

「無理があるってこと?」

「たとえば、ハンドルは左右どちらにでもきれる。
 それを右だけとか左だけとかにきればどうなる」

「グルグルね
 でも相手を否定しないってことでしょう。
 受け容れること。そう悪くないんじゃない」

「そうできれば世話はないさ」

「でも最終的には赦すしかないって
 あなたは言ってたじゃない」

「それは最終的な話さ。
 紛争地域とかの煮詰まった状態とかで持ち出す力業だ」

「だけど真理はシンプルなものだって聞くけれど」

「それは、そうだ。しかし、
 そんな最初から真理なんてものを乱発する必要はない。
 需給の関係が崩れて真理インフレに陥る」

「その場その場で右左を判断するのは難しいんじゃない。
 だからみんな真理を求めるのよ」

「大切なのはプロセスだ」

「揉めたり争ったりするのが嫌なのよ」

「否定しなければ揉めないか?」

「取りあえずは対立や衝突は避けられるわ」

「何を肯定し、誰を肯定するかじゃないのか?
 なんでも蟹でも誰でもカレーでも
 肯定することはできないだろう。結局は、
 『取りあえず』という条件付の処世でしかない」

「もっと、わかりやすい例えで説明してよ」

「たとえば、わんこ蕎麦を注文する」

「あの小さい器で仲居さんがどんどん蕎麦を足すやつね」

「十杯二十杯はいいが、三十杯めから怪しくなってきて
 五十杯めでは苦しくなってくる」

「お椀をかぶせればストップできるけれど」

「ミロンゲ、否定はできないんだぞ」

「ミロンゲやない言うとるやないか、ボケッ!」

「どうなると思う?」

「どうなるの?」

「死ぬ」


「それは極論なんじゃない」

「いや、すべてを否定しないってこと自体が極論なんだ」

「また難しいことを」

「難しくない。いたってシンプルだ」




早河ミステリー文庫ハードボイルドダド列伝
ジャック・スパナー(2