あかんたれブルース

継続はチカラかな

海をみつめる青き狼たちへ



完成と未完成

人の常で、完成をもとめ未完成を不安がるものです。

男女差もあるようで、女子は比較的それがゆるい。
陰陽学では完成された女子の陰(■)に対して
男子は陽(凸)で割りきれない奇数ですから
なんとか足すか削るかしないと完成されない、という理屈だ。

それでも時代なのでしょうか、
わたしたちは性急に完成をもとめるようです。
未熟を否定する。

世の中には、人間には、本物と偽物と未熟があって
だいたいはこの未熟なのですが
本物をもとめるあまり、ついつい偽物で手をうってしまう。
つかんだ本人は本物だと信じ込んでいるかもしれません。

本物なんてそうそうないものです。
だから、価値がある。わけだ

小ブスが好きと漏らしてしまいましたが
癖のある人間が好きです。
変だ。といわれるけれど、これは別にわたしに限ったことじゃない
と思っている。わけだ

いや、ただ不細工とか嫌味な性格であればいいわけではない。
そこに、「味」がなければいけません。
味わい・・・? なんだろうか?

侘び寂びですかね。

司馬遼太郎の短編に『割って城を』というのがある。
昔読んだのでほとんどストーリーは忘れましたが
織田有楽斎だったか古田織部だったかが
(茶道に長じた戦国大名で利休の弟子)
入手した名器の茶碗を敢て割って、それを修正して
将軍に献上するというような話だった。

話的にはそういうことでハクがつくということだったんだと
思うのですが、とはべつにわたしは
完璧ではなないものに惹かれる、魅力があると解釈した。

もののあわれ

ですかね。

日本人にはそういう感性があるものです。

そういった、惹かれどころは個人個人で違うだろうし
そこにセンスがとわれるものです。
芸術の審美眼はよいものをたくさんみることで養われる。
印刷物の校正眼は悪いものをみて磨かれるものです。

その人それぞれの世界観ってものがあって
そこに広さの尺度はあるようです。
先週『海がきこえる』を観ていてうなづくのでありました。

未熟を言い訳にして満足しているわけにはいきません。
完成させることばかきり気をむけてもしくじるし
どうしたものかと思い悩むとしたら

この、世界観をひろげていく
というのが手がかりになるのだろうなあ
と思いました。