あかんたれブルース

継続はチカラかな

ハイジのフーガとカプ理都子



ジギリハイジの話だった(汗)

一人の人間のなかに
ジギリとハイジという背反するふたつの人格が存在する。
当初は多重人格かと考えていた。が、そうじゃない。

そういった精神疾患では片付けられないだろうし
治せないと思います。
なぜならば、本人がジギリを必要としているからだ。

ジギリは本人が自ら作り上げたものだ。

人間の思考は脳で行う。
脳とは臓器であって「体」です。
人間には心と体がある。脳が臓器であれば、そのなかに心がある。
心臓だったり、腹(内臓)だったりもしますが、
ここでは一応頭脳にしておきます。

心は精神と魂にわかれるとしてきました。

ジギリは精神がこしらえたものだ。
社会に適応させるためにつくられた人格です。

それで、世間とうまくやっていければいいじゃないか。
と思うでしょう。ところが、さ。
作られたその人格と自身の魂とにギャップがあると
しんどいことになってしまう。

幸せとは精神が感じるものではなく
魂の喜びにある。
魂を歓ばせるために工夫するのが精神です。
だからその工夫の仕方が不味いんだね。
魂は嬉しくない。そして精神も戸惑う。
それでもジギリは一人歩きを続けていく。

心が乖離していく


ジギリとハイジを足して二で割ればいいのに
と思うかもしれません。

そうはいかないんだな。まったくの別物、水と油。


わたしの前に賢者が現れる

「ジギリもハイジもどちらも愛せばいいのです」

それはだめだ。

「なぜですか? どちらも彼女なのです」

いや、違う。

「否定はよくありません。受け容れるのです」

うるさい馬鹿。すっこんでろ