あかんたれブルース

継続はチカラかな

エロとグロとリアルと感動

月夜の晩餐(7)


わたしが生まれてこのかたのグロは
小学校六年から中学時代の日野日出志でトドメを指す。
これに比べたら
ジョージ秋山の『アシュラ』なんて可愛いものです。

映画化された『血と骨』をシスターズのまこちゃんが
観て卒倒していた。描写、映像というよりも
北野たけし演じる父親のキャラクターがグロかったのです。

グロいものにはある種のリアリティーがある。
宮崎駿の作品にもグロはある。
ナウシカにも、トトロにも、もののけにも、神隠しにも、ハウルにも
駿さんは確信犯だ。

わたしたち世代まではまだ身近に日常にグロテスクがあった。
最近の人たちはそういうリアリティーを知らないせいか
平気でヒドイことをやる。また求める。
そのはしりは23年前の荒川コンクリート殺人事件でしょうか
暴力団抗争でも凄惨な事件(紫川事件とか)はありますが
あれは一般の高校生の犯行でしたからねえ

猟奇殺人とかをFBIのプロファイリングで紹介する
書籍や映画も流行りました。沈黙する羊が一匹二匹・・・
はしりはシャロンテート事件か
もしくは西太后のカメ美女かしらん?

映画のタイトルは忘れましたが(ファールプレイ?)
法医学の写真集を喜々としてみる女性
米国コメディー映画のワンシーンです。
なんだかんだいって私達は
恐いものみたさでグロいのが好きなんですね。

ゴッドファーザー』での
プロデューサーのベッドのなかに愛馬の生首とか
アル・パチーノの『スカーフェイス』で
仲間がチェーンソーで切り刻まれるとか
それこそ『遊星からの物体X』だって
『エイリアン』だってグロい。


昨日観た『冷たい熱帯魚
この作品でのグロテスクは演出として
人間の狂気のものかインパクトか、恐怖か、すべてか・・・

でもさ、作品の完成度から
あれが必要だったのか?
心理的に一番怖かったのはでんでん演じる
あのオヤジだったではないか。

それをより効果的にするためのグロというならば、失敗だ。

気負い、ツッパッテいる。虚勢、自信がない。
もしくは見誤っている。
それは新しい感性とかじゃない。リアルでもない。

先日、レンタル屋の棚に『ミナミの帝王』が並んでいた。
ズラーっとパッケージに
竹内力が顔を歪めてしゃくりあげていた。

これじゃチンピラじゃないか(笑)
本物のやくざはこうじゃない。
ああ、主人公はやくざじゃないのね(汗)

仁義なき戦い東映実録路線から40年
いまは東映Vシネマに引き継がれているでしょうか
それをふくめて暴力団を描く作品のやくざに
さっぱりリアリティーを感じない。

その意味で、『冷たい熱帯魚』のでんでんは
イー線いってたのに、惜しかった。
この作品はキワモノ、グロモノではなく
超一流の傑作、金字塔になれたのに
まさにそれはジョン・フォードの『黄色いリボン』が
ラストをハッピーエンドにしたがために
その栄光を逃したような、痛恨事。

なに? そんな栄光なんていらない?

アホ。プロがいうことか。
それとも配給元からのもっと過激にという強要に負けたか。
それじゃあ政治トーク番組の「もっと過激に」の注文じゃないか。

実話事件モノだったら『誰も知らない』のような描き方もあるし
子役や動物を使うようにグロを誇張しなくても
十分に表現できる力量がありながら
なぜいまさらグロにこだわる必要があるのか?

なんか昔、大島渚がエロにこだわって
アホちゃんになったような感じ。
あそこまで性交描写にこだわらなくとも
愛のコリーダ』は傑作になるべき素材だった。
それを監督自らぶっ壊した。興行、話題性のためか?
だったらマイナス効果だったんじゃないか?

わたしは残念です。

石井隆も嘘っぽいポン引きやくざを登場させたけど
それでも紅次郎というニューヒーローを全面に描いた。
ショッキングというのはそういうことかと思う。
園子温の才能を認めればこそ、
邪道に奔らないでほしいと願う。
あなたのメッセージがより正しく伝わるように
次回作を期待します。

いち映画ファンとして