あかんたれブルース

継続はチカラかな

わたしの気持ち


 私は、『坂の上の雲』の秋山好古が好きだ。
 銃弾が飛び交う戦場で高々と酒の入った水筒をかかげて飲む姿に魅了された。
 その腰にあるのは指揮刀だった。
 その拳で窓ガラスを叩き壊し「これが騎兵だ」と好古は言った。
 日本騎兵隊の父。
 彼の部下たちはみな好古の「お弟子」であるという。
 そういう彼らを羨ましく思う。

 秋山好古は強い。そして、やさしい。
 まるでチャンドラーの「男の条件」のようだ。

 「あなたの様に強い(タフな)人が、
  どうしてそんなに優しくなれるの」

 「強くなければ生きて行けない。
  優しくなれなければ生きている資格がない」

 私が明治という時代と明治人たちに魅了されるのは
 それが理由だと思う。
 どこか懐かしい、幼い頃に憧れた逞しい父性との再会いを
 渇望しているのかもしれない。
 成長していくなかで、そういったやさしを求める自分を
 恥ずかしく感じ、戒めてきたと思う。
 それを求めると挫けそうになる気がしたからだ。
 そんななかで、『坂の上の雲』は私にとっての福音でもあった。

 私は児玉源太郎が好きだ。
 児玉が旅順に向かう姿を想うと胸が熱くなる。
 乃木のことを不甲斐なく思えば思うほど切なくなって、
 その想いを児玉に託している自分を知る。
 児玉は強くてやさしい。

 こういったスタンスは私を躊躇させる。
 現代の私たちは「真実」というものを「疑う知性」と捉えるあまり、
 すべてに思惑があり裏があると穿って観る。
 それはそうだろうが、
 ここまで社会が懐疑一辺倒に染まると窒息してしまいそうだ。

 『坂の上の雲』が歴史や人物を「美化」していると私は思わない。
 時代にはそれぞれの環境があり、そのなかで人間は生きている。
 現代との大きな相違は「生死観」にあるのだと思う。

 彼らが、のぼる坂の先にある青い空に浮かぶ一朶の雲を
 みつめていたとすれば、その背中を私はみつめている。
 それは篝火のようなものだ。
 でなければ途方に暮れて、私は立ち尽くしてしまいそうになる。

 杉山茂丸を知ったのは
 猪野健治の『侠客の条件・吉田磯吉伝』からだった。
 この本で、磯吉の幼友達として杉山茂丸が登場する 。
 吉田磯吉とは、日本の近代やくざの鼻祖といわれる侠客で、
 あの山口組もその流れを汲む。
 山口組初代組長の山口春吉は磯吉の曾孫分にあたる。
 ガキ大将の杉山のトントンが背中に弟をおぶって、
 子分磯吉少年に命じる。

 「磯吉行け!」

 躊躇することなく磯吉は多勢の敵陣に単騎突進するのだ。

 大正に入って二人は再会する。
 九州軌道鉄道問題に絡み、
 時の鉄道院総裁・後藤新平との直談判に磯吉は上京した。
 その仲介を懐かしい親分茂丸がとって、なんなく解決させてしまう。
 茂丸と新平の関係を知れば、なんでもない仕掛けだ。
 やくざを擁護するつもりはない。
 歴史として捉えたいのだ。
 日露戦争では旅順攻略の軍役夫を
 初代砂子一家の西村伊三郎が組織して運営管理を担った。
 台湾総督の児玉源太郎は台湾軍役夫調達を
 小金井一家の平松兼三郎に任せていた。

 吉田磯吉の父は伊予松山の脱藩浪士である。
 もしかすると好古の父とは同僚だったかもしれない。
 茂丸の父が廃藩置県以前に黒田藩を去ったように、
 明石元二郎の父が切腹したように、児玉源太郎の父が憤死したように
 士族階級の崩壊は維新以前からすでにあったわけだ。

 大正十年、憲政会から国会議員となった磯吉に
 「至急上京せよ」と茂丸から電報が届く。
 電文にある「テンカノイチダイジ」とは、政友会原内閣による
 国策会社の乗っ取り計画だ。政友会黄金時代の「日本郵船事件」である。
 「阿片疑獄」「満鉄疑獄」など政治は腐敗していた。
 これに憂慮していたのが山県有朋だった。 
 山県は茂丸と語らい、茂丸は福岡から磯吉を呼び寄せたのだ。
 ここから総会潰しの逆潰しという大活劇が展開される。
 藩閥政治が悪で民党が善というわけでもなく、
 原敬が正義で山県が悪徳というわけでもない。
 また、寺内正毅田中義一らと親しい茂丸が
 政友会側で行動していたのではない実例でもある。

 そう、杉山茂丸は「一人一党」なのだ。

 児玉と新平と茂丸の三人党はお伽話のような
 勇気のカンフル剤なのだ。
 ピカレスロマンの合い言葉は「愛、友情、裏切り」だが、
 彼らは裏切らない。
 佐々友房も頭山満も裏切らない。
 疑わない。彼らは強い。そしてやさしい。
 そんなものに憧れる。眩しい、羨ましい、近づきたいと思う。
 彼らのように生きたい。彼らのように死にたい。
 そして、彼らのような友をもちたい。

 歴史を学ぶ、歴史から学ぶということは、
 そういうことではないかと思う。