あかんたれブルース

継続はチカラかな

駕籠かきのフーガ



では、強さってなにか?
戦前はやくざよりも職人が、なかでも船員が強かった
と記しました。
たぶんに船員は陸の人じゃあなかったからでしょう。


すこし視点をかえて


時代劇の定番のワンシーンを思い出しておくんなさい。

武家屋敷から駕籠にのって要人が参ると
そこを刺客が襲う。よくありますよね。
取り囲まれて、駕籠かきどもはいっせいに
蜘蛛の子を散らしたように逃げる。

中間・小者以上に
へなちょこりんな感じなのですが、
実はこの武家屋敷専属の駕籠かき達は
めっぽう腕っ節が強くて、武士も脅威を感じていた。
特に江戸採用組は比類の無法者だったそうです。

体格もよくてそれによってランク付け(ギャラが違う)
S級(182~176cm)で銀10もんめ
A級(176~171cm)で銀7.5もんめ
B級(171~168cm)で銀5.5もんめ
C級(168cm未満)で銀2.5もんめ 

だいたいの目安ですが、その格差は7.5もんめもある。
そのほかに顔がでかくて、腕っ節と度胸が必須だったとか。
わたしは顔ではパスですが身長でペケですね(涙)
というか江戸時代の平均身長は156cmぐらいじゃなかったのかな?

時代小説で渡り中間がアウトローだったことは
知ってはいましたが、
駕籠かきはまったくノーマークだったなあ。

徳川幕府、江戸時代の中期ともなると
武士はからっきし強くなくなってしまう。
下手に刃傷沙汰でしたら大変なので
おのずと去勢されてしまった。

だから武士道武士道っていっても
私達がイメージするそれとは違うのですね。
もっとも初期の頃はそれなりに激しい燃える闘魂
いたんですが
そういうのをすべて粛清しちゃった。
それはもう苛烈で切腹死罪遠島です。
魔女狩りのようなものだ。

幕末になるとほとんどの幕臣とか武士が
使い物にならなかった、ってわかるでしょ。
山岡鉄舟とか伊庭八郎とか立見尚文なんて例外なんだな。
逆のケースでは幕臣に「文盲」がいたなんて話もある。

この頃は、町人階級で剣道(術)が流行したり
また和算や洋学や史学などのカルチャーブームで
むしろ平民階級のほうが文武両道だったりする。
ま、仕事(生活)がありますからね。それなり、に、ですが

武士は仕事がない。

地方でも下級武士じゃないと役に立たなかった。
薩摩でも加治屋町という下級武士地区が中心で
上士居住区の照国町あたりからは誰も出ていない。

長州じゃあ平民主体の奇兵隊ですからね。

戦国時代での強兵は甲州越後でその次が三河
対して商業が発展した尾張兵は弱かった。
それで信長は傭兵や鉄砲を多く用いたそうな。
豊かさに兵の強弱は関係するようです。
それもあって最強は薩摩兵。つまりそれほど貧しかった。

明治にはいっても大阪師団の弱さは有名でした。
九州とか東北の兵は強かったといいます。
なかには広島が一番強いと豪語するマニアもいますけどね。

強い弱いをなにでジャッジするのか問題ですが
剣道でいうとやはり九州勢が強いです。
とは別に、茨城県が強い。

いまNHKのBSで『塚原卜伝』をやっていますが
なかなか面白い。殺陣が抜群です。
この茨城出身の剣豪は鹿島神宮の神官の出で、
それもあってこの地は剣術のメッカ。
それもあって水戸藩も力を入れたのでしょう。

桜田門の変で刺客の水戸藩士たち
大老井伊直弼を乗せた駕籠を襲う!
そのとき、駕籠かき達は


逃げた。