あかんたれブルース

継続はチカラかな

フェアじゃない。

良識派の壁(2)


大艦巨砲主義を時代おくれの妄信として
海軍の紋章「桜と碇」を「桜とプロペラ」に変えろと
いった大西瀧治郎は同時に、搭乗員の技術と人命も
重視する「合理主義者」でした。

最初の頃は不時着したら捕虜になるように訓示していたほど。

良心的知性派・・・
コワモテモの硬派のインテリではない、
良識派なのだ。

それを証明する、それが故の、「失敗」がいくつかあります。

真珠湾攻撃を最初に立案したのは大西だといわれます。
ところが、途中でそれを撤回する奇妙な行動に出る。
これまでの戦史物では
この作戦に必須の急降下爆撃に自信がもてなかったとか
書かれていますが、それもあったでしょうけれど
(それは猛特訓でクリアさせた)
もうひとつ、アメリカを本気にさせてしまうという
危惧があったと笠原和夫は考えたようです。

しかし、本気も何も戦争は始まっている。
笠原の考えには少々首をひねるのですが、大西が迷った
ことは事実です。イケイケタイプはここで迷わない。
これをまず
大西が良識派であるひとつの証とします。

次に戦局が悪化して、
自らが特攻隊の指揮官を押し付けられたとき
大西は心情的には特攻は反対だった。

その作戦終了後に天皇に戦果を報告するのですが
ここで大西はこの報告内容から
天皇が特攻作戦の無残さに心を痛めて
「もうやめよ」という言葉を期待した。

がそうはならなかった。

「よくやった」

天皇は労い、誉めた。


これでやむにやまれぬ、引っ込みがつかなくなった。
というのが真相のようです。

そして、終戦直後の二千万人特攻発言。
あれも、実は責任者の死を訴えるものだった。わけです。
でもそうはならない。そうは受け取られない。


もっとはっきり言ったらどうだなんだ!


「そんなこといえませんよ」

なんで。

「だって職業軍人であり、高級軍人なんですよ。
 しかも当時の天皇崇拝は大変なもので
 そういう時代、環境のなかで
 責任者云々はともかく、天皇に死ねとはいえません。
 そんなことしたら国家国体が崩壊瓦解しますって」

そりゃそうだと思うけれど、もう国家は崩壊寸前じゃないか。
だいたい、国力差80倍のアメリカと戦争とした時点で
もうダメじゃないか。日露戦争でも国力差は8倍なんだぞ。
合理主義、良識派であるならば、
そういう連中が身を挺してでも止めるべきじゃなかったか?
すくなくとも太平洋戦争中盤で、そうすべきだった。

「そりゃそうだろうけれど、時間軸のなかでの
 立場とか役割とか責任とか色々あるじゃない。
 わたしたちは歴史の結果を知っているけれど
 彼らは知らない。
 予測はできてもそれを想像の域をこえないから
 説得力がないんじゃないかな。他人にも、自分にも」

大西は、ある程度、確信をもって
シュミレーションできていたと思う。
それでもできなかったことに、
わたしは「良識派の壁」を感じるのです。
大西は、その壁を越えられなかった。

戦後、特攻隊生みの親として、
また終戦直前の行動から汚名をきさせられている
大西瀧治郎を想うと、残念でならない。

フェアじゃないよ。

大西を信奉したり、崇拝したり、尊敬することはないけれど
大西瀧治郎が何をどう考え、苦悩し、決断したかは
私達が考えなければならいことだと思う。

未来の私達に何を願い、託そうとしたかを。

狂信的とか、暴走とか、
そんな単純なものじゃない。
それに、そういう捉え方が、先人に失礼だ。

フェアじゃない。
卑怯だ。