あかんたれブルース

継続はチカラかな

民主主義と余計なお世話

ドラマ『坂の上の雲』第三部によせて

いよいよ、今度の日曜日から最終章がスタートです。

いろいろな問題があって、
三年に分けての放映になりましたが、
ようやく作品のなかで血湧き肉踊るぶるぶるぶる、です(汗)

先週から第一部二部の再放送をオンエアしている。
そのなかですこし気になる台詞というかナレーションがありました。

日清戦争のくだいで、

欧米列強の東アジア進出と日本の立場を紹介して
そのうえで
中国・朝鮮にとっては「余計なお世話」だったことだろう。
といった感じでしめていた。

これは原作にもある記述なので
以前の旅順虐殺事件みたいにどうのこうのといえないのですが・・・
わたしは司馬さんが好きです、が、こういう表現は
結果として誤解をまねくだけだと、思う。

それでまたそのその結果、司馬さんと『坂の上の雲』は
両方の人達から批判されているわけだ。
ちょっと酷な言い方かもしれませんが
司馬さんのこういった含みのある表現は甘い。
それを味わえない人が多い。
ということなんだろうなあ、と思いました。

当時の(欧米の)植民地(経営)というものが
どのようなものだったか、というものを
まず、よく理解していない。これが第一。

当時の中国、朝鮮の内情がどういうものだったか
知らない、想像しない。これも第一。

このふたつを理解すれば、誤解など生じない。


一昨日の記事で、朝鮮が韓国に替わる以前は
両班という特権階級が国民の半分だったと記しましたが
半分が生産性がないわけで(実際はもっと多い)
その半分が彼らを養わなければならない。
これでは、国は持ちません。
唯一、独立国でありながら軍事費は少なかったから
なんとかやれていたんでしょうかね。
内情はいまの北朝鮮以下です。

いや、李氏朝鮮は独立国だったのか?
清国(中国)の属国であり、その後はロシアに頼ろうとした。
飢饉や災害があれば、それを日本のせいにして
民衆の敵意を日本に向ける、政策といえばそれくらいです。

  昨日、BSで『真昼の決闘』をやっていました。
  ゲーリー・クーパーの西部劇で、西部劇ではめずらしい
  アカデミー賞受賞作品だ。

  結婚式を終えて、新妻と町を出ようとするウィルは
  当日退職した保安官。ちょっと待った大変だ!
  以前、逮捕したこの町の悪徳の支配者フランクが
  三人の子分を従えて仕返しにくる。そして再び、この町を
  暴力で支配するつもりだ。

  ウィルは再び保安官バッチをつけて
  町の人達に以前のようにみんなで力を合わせて
  悪に立ち向かおうと呼びかける。
  ところが、
  なんだかんだ言って、ウィルは迷惑がれてしまいます。
  このときの民主主義の屁理屈は圧巻だ。

  ウィルには大義名分がなくなった。
  彼だってわざわざそんな危険なことをやりたくない。
  新妻には愛想をつかされてしまうし、とほほです。
  娯楽映画のヒーローではないのです。
  ウィルはウィルなりに自問自答し葛藤する。
  それでも、彼は町を出ず、たった一人で戦う。


なぜだ?


いろいろ考えてみたのですが、それは
主人公の人間としての尊厳、ウィルのプライドの問題だ。
その証として、最後に悪党ども倒したとき
ウィルは保安官バッチを千切って捨てて町を去る。

  この作品を観て、お節介なアメリカ人気質と感じる人は
  そういない。はずなんですけどねえ・・・
  最近はちょっとわからない(汗)


さて、話を戻して

あの頃、中国や朝鮮にとって
日本のアプローチは余計なお世話だったのか?
そりゃあ、特権を持つ、既得権益者にはそうだったかもしれません。
でもね、
朝鮮には開明派グループもいて日本にそれを強く求めていた。
国民の残り半分は悲惨な暮らしです。
中国は少数の満州民族に支配されていて既に植民地で
そこに欧米が乗り込んでの半植民地状態。
つまり、漢民族にとっては二重の植民地(正確には1.5)ですよ。

いや、日本がウィルのように尊厳とかプライドで
そういったアプローチをしたのではない。
簡単明瞭な理由です。

安全保障。

中国、朝鮮が欧米の植民地になってしまうと
非常に危険なわけだ。
同じ町内に火の手があがって、それが隣接する
清さんの家と朝ちゃんの家に・・・
なのに、消火活動をしない!
「お前なんかの指図は受けないよ! 余計なお世話た」

日清日露を日本の侵略戦争の魁とするけれど
それはないよなあ~