あかんたれブルース

継続はチカラかな

M教師ってなに?

続・暴力を考える(我慢・5)


先日、教育関係者の会合に参加しました。
飲み会ですけどね(汗)
そのなかで「M教師」という言葉が飛び交っていた。

「なんですか? そのM教師って」

このMとは「問題」の頭文字「も」の「M」だそうです。
教育現場ではこのM教師の存在に頭を抱えている。
昨日のような「民間企業」のケースと違って
教育現場の職員の問題であると
私達はすんなり受け入れられる気がします。

理由は、自分の子供たちに直接悪影響があること。
それと相手が公務員であることかな。
マスコミ報道の影響もあるかとも思います。

だから子供を持つ保護者として、このM教師の存在は
大問題で、できるだけはやく取り除いてほしい。

すくなくともここで「彼らを腐ったリンゴにするの?」と
いう人は、いないとはいわないが、少ない。

で、M教師に一番困惑迷惑しているのは現場の教師・関係者です。
いつなにをしでかすかわからないし、実際にM教師は
生徒を指導している。それが教師の仕事ですからね。

真面目にやってる熱心な教師もいるわけだ。当然。

是正システム(研修など)はあるけれどまったくザル法だそうで
また、帰ってくる。そうそう簡単に辞めない
辞めさせられないのだそうです。
とてつもない事件でも起こさない限り・・・
人権の問題とか、法的な問題とか・・・

ほら、警察が民事に介入したいというので
悲惨な事件に発展してというのはあるでしょう。
ああいう悲劇の当事者はつらいのだ。

ここで注目すべきポイントは
現場の叫びとして、M教師を辞めさせたい。駆除したい!です。
当たり前のことだ。でもこの当たり前のことが難しい。

この問題に対して、具体的な方策案として
西日本の先生方からある是正策が提案された。
「M教師の査定を一学校で一年、それを
 四学校で合計四年やって、その判定を四学校長がやる。
 四人の学校長がすべて「ペケ(失格)」を出したら
 辞めさせられるようにしよう」という提案です。

  しかし、四年もかかるのか・・・
  もし、最後の一人が責任回避で「○(合格)」出したら
  M教師は帰ってくる。
 
  それでも、法的機関に訴える可能性の高いM教師には
  この策は現実的で評価できるということでしたが、
  ただそれに対して東日本の先生たちの反応は・・・

  ダンマリを決め込んでいる。

  西と東の体温差というか特性なんですかね。



まあ、それはそれとして、
このアイデアに対して元校長先生のAさんが
「そんことやっても意味がない」発言した。

「ダメなものはダメで、どんな指導をしてもダメ。無駄。
 彼らは最初から壊れている。
 いや、それが言いすぎであれば、ある程度若いM教師なら
 効果もあるかもしれない。しかし、
 四十五十の中高年になった者達は絶対に変わらない。」


このAさんはとても真面目で誠実な方です。
教育者として経験も豊かだ。
そういうAさんの口からこのような言葉が出たことが
教育現場におけるM教師の脅威を思い知らされます。

でね、わたしはそういった議論の場で
考えていました。

これは、M教師を立ち直らせるためのものではなく
排除するための方策であり、いまの日本社会では
こういったプロセスを踏むしか手立てがないのだ、ということです。
だから、Aさんの危惧は間違っている。
間違っているけれど、Aさんはとても善良な人間だ。
まだ、どこかに可能性を求めている。


  なんか痛かった。


この西からの提案が国会で取り上げられて
法案化するのに何年かかるのか、わたしはわからない。
可決し、通過されるかもわからない。
そのときの議論にはこれを批判するものもあるでしょう。

仮に、実施されても四年は我慢しなければならない。
我慢するのは生徒たちです。

うり坊はガマンは三回までと言っていた。

子供たちは、四年+α、我慢しなければならない。
そのなかで何回我慢するのだろうか

自分の子供に関係なかったらいいだけの話?
それとも東の良識派のように身を屈めるか
それとも批判を繰り返すか

我慢じゃなにも解決しない。
誰かが何かが状況が環境が変わるまで
待つ方策の我慢は状況をさらに悪化させる。