あかんたれブルース

継続はチカラかな

国語力以前の問題

知性の行方(10)

昨年のオリンパスの記事にこんなコメントをいただきました。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/52753090.html

 >あほ!
 >軍人=武士道 これはどっからきたんだ。
 >下山敏郎なる輩、終戦とともに、ロス助が怖くて、
 >在留邦人を見捨てて、さっさと満州から逃亡したのだ。
 >損失隠しの元凶もこいつが作ったのだ。

 >何も理解していない、アホの化身とはその名のとおりだ。

スルーしてもよかったのですが
「知性の行方」をたどって暴力から呪いについて
考察しているところから、素晴らしい例題になるので
本日はこのコメントの「知性の在り処」を検証してみたいと思います。


まず、開口一番罵倒のびっくりマーク付きで
ツカミはOKなのでしょうが、誰に言ってるのかわからない。
全部読んでも「下山敏朗」になのか「馬太郎」になのか
よくわかりませんでした。

そういうことは別にして、
このnya*o*e_goさんも下山氏を批判する立場のようです。
それは馬太郎と同意見なのに、わたしの記事が気に入らない。
生ぬるいという以上に許せないみたいだ。

たぶん、満州から逃げ帰ったことを言いたかったんだと思う。
たぶん、正月番組のNHKBSドラマスペシャルでも観たのかもしれない。

でもね、軍人が民間人を保護する義務、職務はないのだ。
人道的には理不尽に思うけれど、
たとえば沖縄戦での軍人と民間人の関係でも
よく提示させることだ。ましてや終戦してからですからねえ。

蟻の兵隊や台湾義勇軍みたいに戦わないとダメって話になる。

オリンパスの下山発言をそういう話とゴッチャにすると
うやむやになってしまうので、
こういった捉え方、指摘、批判はペケです。稚拙だ。

露助が恐くて当たり前。民間人を見捨てて当たり前。
にしないと、そうじゃない人を探すのが大変になって
じゃあ下山さんもしょうがないよね。になってしまう。わかる?

先日の帰りの新幹線で社内ニュースに
オリンパスが歴代社長や役員19名を訴えたとか流れてた。
これでともかくは下山さんの責任追及は免れない。
しかしその償いがいかほどのものか・・・

もうかなりの高齢だし、裁判にも時間がかかるでしょう。
ただ、彼が楽しみにしているという軍人会には
いけなくなるでしょうかね。
甘粕正彦でさえも、総スカンだったのだ。あの時代でも。
もし、それを受け容れるような軍人会であれば、
帝国陸軍の人たちの実態がそういうものとなってしまう。
だからこそ「下山発言」はとても重要なのです。

オリンパス損失隠し以上にそれが重大なのだ。
100歩譲って、それは会社や従業員や株主を守るため
という大義名分があったとしてもいいのです。
しかし、下山氏はその責任を免れようとして
「軍人」という言葉で言い訳をした。

「すみませんでした。すべては私の責任です」

といえば弁護や擁護も生まれるかもしれない。
それがなかったことが日本の現在のモラルハザードの実態だ。
恥知らず、ということになる。

問題を拡散させるとうやむやになってしまう。
これは知性の落とし穴でもある。

昨年のタイガーマスクの偽善云々論争や
ナベツネの言動に賛否がわかれるなど
首を傾げる世論の知性が危うくて仕方がない。
それはビッグダディの番組の評価にしても同じです。

色々な意見はあってもいいけれど
その意見にはちゃんとした出来不出来があってしかるべきなのだ。
発想の飛躍や拡大解釈で問題を拡散させうやむやにしちゃだめなのよ。

結局、nya*o*e_goさんは「自分はもっと知っている」ことを
言いたかった。けれどもそんなに知ってはいない。
いかに近現代史が学ばれていないかという
教育問題にも責任があるけれど
問題の本質を見抜けない頭の悪さは本人の責任です。
こういった意見をどこかもっとマニアの2ちゃんねあたりで
漏らせば袋叩きにあうでしょう。

おおわく同じ意見なのに揉める。頭の痛いことだ。
結局、問題提議するよりも自慢したい。
自分はこれだけ知っている。と。
nya*o*e_goさんの場合はコメント内容から
その知ってるが大したことではなかったので笑い話ですみますが
もし、知ってたらどうなるか?
知ってる人で的外れな人はたくさんいますからねえ。
そういう知識は弊害の何者でもない。

問題の拡散でもう一丁。
こういう晒しの行為に目くじらをたてる人もいますが
言った以上は責任があるので仕方ないのです。
それと晒すといってもnya*o*e_goさんは存在しません。
実態がないのです。
最初から責任回避して発言している。
文脈が変なのも彼の国語力だけのせいではなく
曖昧にしていることも原因だ。
匿名性のネット言論に信頼性や価値がないのは
そういうことでもある。

無責任であり、卑怯なのだ。

彼に下山敏郎は批判できない。
やっても結果はうやむやになって逆に擁護する結果となるでしょう。
良識派はこういった文面だけでスルーして
傍観者の殻にはいってしまう。
関わりたくない。相手にしないのが一番となる。

でもさ、いつまでもこういうのを野放しにしてちゃいけない。
ダメなものはダメって誰かがちゃんと言わないといけない。
デテールばかりに気をとられて
大切な根幹を外してはいけないのです。

だから、そういった優しさ思いやりってものは
残酷なのだ。