あかんたれブルース

継続はチカラかな

枯渇

知性の行方(13)


時代は人間が作る。
ではなく、
時代が人間を作る。と考える馬太郎であります。

そういう時代のなかで
人材が枯渇することはない。
一人が倒れても次から次へと新しい人材がバトンを受け取って
ある時代を作っていく。

歴史はそれを証明している。

ところが、ここにきてそれに疑問が生じてきました。
以前、記事にした司馬さんのいう魔法使いの杖の話で
明治までは素晴らしい日本人を生み出した日本が
昭和になると魔法使いが魔法の杖を使ったように
まったく変ってしまった。

そうなのかなあ・・・
でも、それはそれなりに立派な人もいたけれど・・・
ま、結果論からすればそうなんだろうけれど・・・

とぶつぶつ独り言

ここ最近「昭和研究会」にハマっていました。
これは近衛文麿のブレーン集団なのですが
結局、失敗してしまう。

原因は、近衛文麿だ。

これはよくいわれている。
近衛のダメさかげんは
松永安左ェ門(電力の鬼で素敵なスケベ大魔王)が
英国遊学中に娼婦との約束を反故にした逸話で
うまく説明されている。

では、近衛はどうしようもなくダメな人間なのか?

いや、そんなことはない。
知的で聡明で清廉で立派な人物だ。
そうそういない。
位だって昭和天皇に継ぐ近衛家なんですから
昭和研究会の連中が近衛で日本が変わると
本気で考えたのも納得できる。
近衛文麿しかいなかった。

なにが問題だったかを
近衛文麿の短所のあら捜しをしてもつまらないのですが・・・

近衛は逆にデキ過ぎでいました。
どんな相手の意見もよく耳を傾けた。
相手のいう半歩先一歩先を読み取って質問する。
相手は自分の意見を自分以上に理解して
くれていることに喜んで帰っていきます。
近衛のまわりには様々な情報や意見が集まっていった。

近衛文麿良識派だった。

知れば知るほど決断できなくなってしまった。

こういうタイプには強烈な参謀が必要です。
「力のある」という条件付の。

杉山茂丸の門下生に後藤隆之助という人物がいます。
彼が昭和研究会のプロデューサーだ。
戦後、彼がこぼすには
児玉源太郎のような軍師、参謀がいなかった。
たとえば、井上準之助でも暗殺されていなければ、とか

せんもない・・・

しかし、それは事実だ。
米内光政でも山本五十六でも今村均でも役不足
到底、あの時代をハンドリングできる人材ではなかった.
ましてや緒方竹虎でも
後藤隆之助自身もそれを痛感していた。

時代というものはなんなんでしょうねえ。
それとも、運命というか宿命だったのか
ああいった悲劇はどうにも拒めない時代の宿命だった?

いまだせる答えとしては
近代化のプロセス

としかいいようがないのであった。