あかんたれブルース

継続はチカラかな

アホーマンス

アホ寮リターンズ(1)


寮生から抗議を受けまして
本日は予定を変更してアホの定義について
みなさんと考えてみたいと思います。

アホとはなにか?

関東ではアホ=バカですが
関西では違う。関西でバカといっちゃうと問題が生じる。

馬鹿(バカ)という表現は
関東と関西ではニュアンスが違うようです。

馬鹿は馬と鹿の区別がつかない人の逸話から生まれたもので
阿呆はたしか「三国志」の劉備の息子劉禅
幼名「阿斗(あと)」からだとか。

この侮蔑語の効果は
関東では アホ>バカ。 関西では アホ<バカ。
となるそうな。

明石家さんまはそこをもっと踏み込んで
「アホちゃいまんねんパーでんねん」と宣言した。
慧眼のインテリジェンスであります。

アホとバカの間には(くるくる)パーが存在するわけです。

また、島倉千代子の『浪花節だよ人生は』では
「バカな出逢いが利口に化けて よせばいいのに一目ぼれ」
と歌っている。作詞藤田まさと

飲めといわれて素直に飲んだ素直さ、一目ぼれ、浪花節
すべてバカであり、利口ではないとしている。

アホ寮のなかでも特待生のJJ.は錦筋のバカアホですが
このJJ.のニックネームは
ハンドルネーム自由人の
「自由」の「ジュ」と「人」の「ジィン」からのもではなく
映画『ラストショー』(1971年の米国青春映画)のなかに
チョ役で登場するプレッピーな青年JJ.からとったものです。

なお、この映画のなかには
天才バカボン』のレレレのおじさんみたいな少年も登場している。
これは黒澤映画『どですかでん』の機関車小僧のようなものもので
彼らは総じてアホなのですが、
あえて自由人にJJ.という分不相応なニックネームをつけたのは
彼のアホさにアメリカンドッグの匂いがしたからだ。

はやい話がヤンキーがそのまま歳をくって35歳になった。
わたしにとってJJ.という愛称はアメリカ的そのもので
米国的なバカさかげんアホさかげんだったのですね。
純情で単純で本能的で熱しやすく醒めやすい
なくせにストイック。陽気な淋しがり屋。
あいつにはテンガロンハットが似合う。

黒澤明の『七人の侍』だったら菊千代。
決して木村功ではない、ましてや志村喬でもない。
かといって千秋実でもありません。

あいつには色気がある。
それは彼が求める異性に対する色気ではなく
同性が惹かれる色気だ。これは同性愛の話ではありませんよ。

その色気とは、バカの匂い、アホの匂いだ。

そういうものが実は人を惹きつける。
チャーム(魅力)なのだ。
だからわたしは彼に魅了されているわけです。

そういうことはみんな実は知っている。
みんなバカやアホに憧れているんだ。
だけでなく、自身もそう在りたいと思っている。どこかで

けれども、そうそう簡単にバカにはなれない。
アホにはなれないものです。

たとえば、スカイプの途中で
「馬太郎さん、そろそろいいですか」
(えっ?なにが?)
と話の腰を折って
「オナニーがしたくなりました」とそろそろお開きにしまようと
サインを送れるのはJJ.ぐらいのもんです。
そして、本当にしますよ。と念をおすのも彼だけです。
(わかったよ、勝手にしてくれ(汗))

パソコンを消して、ベランダに出て煙草に火を着ける
月明かりに目をやれば美しい三日月だった。
それを眺めてながら
ああ、あいつはいまどんな画像で己を鍛えていることか、と
ふっと夜風に身震いしてそんな想像を打ち消すのだった。