あかんたれブルース

継続はチカラかな

野田聖子の出産から考えさせられたこと

考える葦たち(アホ寮学級-1)


昨夜はJ教授と国家戦略論について意見交換をしました。
非常に哲学的でその深層を理解できないものには
下ネタ芸人のネタ合わせと憤慨されるやもしれませんが
いやそうじゃない。

ここに集うアホ寮生及び入居予定者、順番待ち、予備軍、在家
の諸君も含めて考えるテキスト、ヒントにしてもらいたい。
以下そのダイジェストです。

女子サッカー澤穂希選手が
「宿命は変えられないけれど運命は変えられる」といったそうな。
すばらしい金言ですね。

アホ寮学級ではもう一歩踏み込んでその宿命について考えてみる。

これは生まれでた環境や資質、先天性などを指す。
人間に生まれた、日本人に生まれた、今の時代に生まれた
あの父とあの母に生まれた・・・・これが宿命だ。

因果について

わたしはよくすべては因果律によるもので
これは原因の因に対する結果の果という絶対の法則
カニズムであると説いてまいりました。

このことを否定できる良識派識者はいない。
といって過言ではない。
なぜならば、これはオカルトでもなく宗教でもなく
現代科学のアカデミックなマカデミアンナッツだからだ。

そこに時間の進行というものがあります。

(因)→時間→(果) 

芋を食う→時間→屁がでる。これは絶対の法則です。
美人であろうがコギャルであろうが小悪魔でも例外はない。
あるとすれば、体のどこかに変調があるからだ。
めしを食う→時間→うんこがでる。
うんこが出ない人には体のどこか、たとえば自律神経に失調がある。

時間は一方向に一方通行で流れている。進んでいる。螺旋を描いて

これもわたしの考察の重要な定理です。

ところが、この法則に矛盾を生じてしまった。
因果律に沿って考えると時間が逆行することがある。

たとえば、
親がいて、たとえば父親がいて
彼がセックスをしたから子供が生まれた。
ここに時間と因果が成立した。となります。

しかし、これはあくまでも父親からみての因果律である。

それを子供の側から捉えれば
自分は、父親がセックスしたから今ここに存在する。
と、なります。つまり、ここで
時間は完全に逆行したことになる。

従って、因果は時間と関係しないことになります。

私達は時間に支配されている考える。
老いがあり死がある。待ち合わせの時間や締め切るに追われている
わけですよね。
時間は一方向に流れて後戻りはしない。時間はね。
しかし、時間は私達を支配できない。ということになる。

個人の環境や立場によるわけです。

宿命と運命。因果と時間

そういったファクターのなかで私達は
多くの矛盾と疑問を抱えています。
先日、テレビの特番の野田聖子の出産が物議を呼んだ。
わたしは観ていないので、知人数人に聞いただけですが・・・

人工授精、障害児、母性と子供の人権、
健常者と障害者、医療倫理、因果、宿命と運命・・・
到底答えの導き出せるものではありません。

事ここに至るといつも立ち尽くしてしまうのですが
この難問に因果と時間と私達人間の関係が
大きなヒントになるのではないかと思いました。

そしてもうひとつ、他力と自力


あんまり難しいことをいうと熱出す人がいるので
本日はここまで
今日の日直当番はJJ.と、うり坊です。