あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛のバイキング

Jの食卓(愛の研究-3)


結局、博愛の問題点は
その解釈にあり
プロセスを無視した極論にあるのだと思う。

なもんで、まず好き嫌いを許さない。
うり坊はレバーが嫌い、ルイちゃんが鶏肉が嫌い
馬太郎がナマコとナタデココが苦手
因みによし姉は歯医者が嫌いでJJ.は本が苦手
これは段階的なことで絶対ではありません。
また、世の中にはそれが好きな人がいるので
それが好きな人と嫌いな人が仲良くなれば
なにも問題はありません。繋がりますからね。
レバーの嫌いなうり坊とレバーの好きなよし姉が
友達だから問題ないわけだ。

一人で完璧を求めるところに無理があるんだよなあ。

次は許容範囲で
わたしはお酒が入るとあまり食べません。
もともとそんなに食べるほうではなかったのですが
歳をとるとよけいに食が細くなる。
だからバイキングとか食べ放題とか損なのです。
ルイちゃんみたいにバカみたいに食べられない。

博愛のなかには質だけでなく量も強要する
ニュアンスがある。

人それぞれにキャパシティーがあるのですが
ランチバイキングの後に、阪神百貨店のお惣菜売り場で
夕食の品を物色できないとダメ、買わないとダメ
食べないと良い人間ではない、という考えは間違いで
普通の人間はランチバイキングの後は夕食抜きで
胃腸を整えるものです。

だからルイちゃのような人は特異体質なのだ。

私達は少しずつ訓練して胃腸を大きくしていく
キャパシティをひろげるいくプロセスが大事で
ハナっからここまで喰えないと損だといわれてもねえ
だったらそんな食べ放題には「今は」行かないことだ。

また、わたしはナマコは嫌いですがコノワタは好きです
コノワタは「海鼠腸」と書くようにナマコの内臓だ。
コンニャクも好きでおでん屋に入ったら
ちくわぶとコンニャクは必ず注文するもんね。
ナタデココはコンニャクの絞り汁から作られているので
そのうちナマコもナタデココも好きになるかもしれません。

最初はそうでもなかったけど
付き合っていくうちに段々好きになることってありますよね。
恋愛なんかでもそういうことよくあります。
原始人ではありませんから
うり坊のように直感だけをたよりにしてはいけない。

わたしもあと5年か10年したら惚けて
品川プリンスまで徘徊してランチビュッフェにもぐりこみ
「あれ昼めし喰ったかな」「昼めしはまだかな」・・・
を繰り返し聖者の王道を極めるやもしれません。

こんな感じです。
私達現代人の悪い思考癖に極論的究極の選択を提示して
そこに矛盾を見出し許さない子供じみたところがある。
真理は矛盾しないというところでしょうが
そのシュミレーションの設定がおかしいのだと思う。

好き嫌いはよくない、というと。
「じゃあうんこを喰ってみろ!」なんていう
馬鹿餓鬼みたいのがウヨウヨいる。
「ほら食べられないじゃないか」とか
「私の質問にまず答えてください」とか
「矛盾してます」とか
最後には必ず謝罪を求められる。そして、

「だったら私を愛して・・・」


だから博愛に苛立って根絶やしにしてはいけない。
これはバイキングや食べ放題なのだ。
愛のバイキング、愛の食べ放題・・・
喰い散らかしてはダメですよ。マナーがあります。
お皿には食べられるだけ盛ってください。
残したらペナルティーがあるでしょう。そういうことです。