あかんたれブルース

継続はチカラかな

ブラックボードを観て

ナルシスの弁明(5)


三夜連続のドラマ『ブラックボード』を観ました。
さほど期待とかしてなかったのですが
とてもよかったです。

第一話は終戦直後の1945年を描いたもの
第二話は八十年代の校内暴力をテーマに。
第三は現代の教育現場の在り方に言及したものだった。

なかでも一番期待してなかった昨夜の第三話は感動した。
脚本が上手い。ゲゲゲの松下奈緒も上手かった。

昨年の秋から教育改革運動に参加しています。
若い頃から誰かと、なにがしかの集団と
行動を共にすることはほとんどなっかったのですが
日本の様々な複合的で複雑怪奇な社会問題
その解決のツボは「教育」だな、と合点がいきまして
今年になって二度文科省に、先月は経団連にも行ってきました。

そういうこともあって、
普段あまり観ないドラマをみちゃった(汗)
しかも三夜連続で。なかでも
第三話「学級崩壊」が突出して優れていたのは
シナリオの構成もさることながら、
このシリーズのなかに込められている
メッセージのなかで、問題提議を踏み越えた提言があったから。

「時代は変わっても、時代のせいにいてはいけない」

強いインパクトがあった。

それまで、わたし自身ある疑問というか
似たようなことを考えていたのです。
いいところまでなんとなくはつかめかけた気がしてたのですが
なかなか確信がもてない。

それでも
一昨日のある会合で(第二話を観る前)
「時代は変わっても子供というものは不変ではないか」
というようなことを発言した。

三つのドラマで共通していえることでもあったが
結局は「大人の姿勢」に問題があるんだと納得させられた。
問題は子供じゃない。

人に対して、正面から真剣に向き合おうとしない
大人たちに問題がある。

それは教職者であり、親であり、世間全般の大人達の問題だ。
それを子供たちは観ている。
その意味で子供たちは社会を映す鏡のようだ。

政治が悪い、制度が悪い、景気が悪い・・・
色々な不平不満がある。
悪いのならば、変えればいいのですが、
それがなかなかうまくいかない。
無論、システムにも問題はあると思います。
でもね、いつもいうことですが
所詮は人間がやることですから、システムだけ変えても
うまくいきません。
一人一人が、個人が、変わらないといけない。

子供に真剣に向き合う。
子供だけじゃなく、大人にも
つまり他人に対しても正面から向き合う。
そして、自分自身に対しても
こういうことが大事で、まず基本なのではないかと
思います。

日本は資源の乏しい国だ。
食料にしても、加工製品の原材料にしても
それを生み出すエネルギー資源に対しても
心もとなく、その多くを海外に依存している。
それを経済とか効率とか合理性でなんとかしてきました。
しかし、日本には人材という資源がある。
子供は宝。といわれてきました。
しかし、そういう人材の育成を疎かにしているのではないか。
それを時代のせいにしているのではないか。

日本には豊かな自然と、人材が生み出す技術がある。
そういうものを効率性や即効性だけで
ないがしろにしているのではないでしょうか。

原発ビジネスというものがある。
これを海外に輸出できる技術として
ビジネスとして国益と考えるけれど
国際競争の名の下に海外に流出していく企業は後を絶たない。
安い人件費ということもあるけれど
その反面、海外には不安定な電力事情というリスクもある。
原発ビジネスはそれもこれも解決してくれる。と
考えられるのでしょうが、
今現在の日本の構造不況と照らしあわせてみてください。

結局、それはタコが自分の足を食ってるようなものじゃないか。
脱原発にいちはやく着手したドイツではこういっていました。
原発産業では雇用を生まない」

おなじアングロサクソンでも
ドイツ人のその見識は高い。

日本は経営の合理化に比重を傾けているけれど
そういう企業を国は保護するけれど
風が吹いたら桶屋が儲かるじゃないが、
目先の利益ばっかり追っかけてると後で大損をコクって
ことになりかねない。

国益というものを、もっと広い視野で考えるべきじゃないのかな。
少子高齢化をただたんに税収と直結するのではなく、
人材をもっと活用する、育むことが、結果として
すべてを解決するのではないでしょうか。

これはキレイ事ではなく、当たり前の経済理論
国家戦略として、です。


明日からしばらく東京を離れます。
帰ってきたら、真面目に
そういうことを記事にしていきたいです。