あかんたれブルース

継続はチカラかな

日本人



日本の近代化は、電化の歴史と考えていい。

石炭(火力)→ダム(水力)→石油(火力)→原子力
とその発電方法はかわっていきました。
そこには需要と供給の問題があった、わけです。

原発問題の問題は、その発展を阻む点にある。
その障害は利権と誤解にある。

日本人は近代化というものを「工業的」なものだけに
シフトして考えてしまっていますが
本来の近代化とは「豊かさ」にあって精神的なものが
非常に重要なのだ。

さて、言葉のアレルギーといものがある。
たとえば、「国家」とかいうと身構えてしまう。
そこに権力と、横暴を、イメージするからでしょう。
だから、愛は認めても愛国は認めない。
国家への愛は許されないのだ。

これは非常に不自由なものです。

日本の近代化に「富国強兵」というものがありました。
身構えるよね。戦争という言葉が付随してくる。
しかし、これは19世紀から20世紀初頭の話。
富国はいいとして、強兵なんてどこに何に使うのだ?
軍事費ってけっこう足かせなのだ。

そういう過去の産物にビクビクしなくてもよろし。
わたしはここんところ敢てわざと挑発するように
国益」とか「国策」とかいう言葉を使います。

で、この富国強兵も「富国強民」と変えて使おうかな。
国民が弱っている。
国はもっと工夫して国民が強くなれるように努めるべきだ。
増税はそれからでもいいと思う。

富国富民でも富国豊民いいんですよ。
ただ、富めるとか豊かさとかの意味合いを
取り違えないようにしないといかん。誤解を生むので
ここはやっぱり、富国強民だな。
本当の強さを欲する。


昨日は天下り元高級官僚とやりあってきました(汗)
非常に歯ごたえのある論客で刺激的だった。
頭が切れる相手、手ごわい相手です。
しかし非常に誠実な人であることが読み取れた。
日本も日本人も捨てたもんじゃないと痛感した。
あと、一回か二回か三回あれば
彼を納得させられると確信をもちます。

なんか工夫次第で、日本は変われるかもしれませんよ。
そういう時機にあるのだと思う。
なんか日本人に生まれてよかったと嬉しくなりました。