あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛を紡ぐ人



愛の正体を探るキーワードとして
寅屋は「情」を提示した。
まさにこれが決定的な現場におとされたバールのようなものだ。
しかも指紋がベタベタ。

当研究所の鑑識にまわしております。

愛は象徴としての名詞。
情はそこから発生する現象というか動詞的なものかな

少子化問題に未婚率の増加があげられる。
で、最近は恋愛至上主義もあってひと昔と比べ
見合い結婚がすくなくなったといわれます。
昔は近所や近親縁者に世話焼きな人がいて
年頃になるとあっちこちから縁談話を持ち込まれる。

こういった見合い結婚が不埒であると考えられて
熱愛の大恋愛結婚こそが正しいとされたようです。
まあそれはそうだと思う、が。
それでも挫折していくわけです。

では、見合い結婚は不純なのか?

わたしの両親も見合い結婚
というか親同士で決めたようです。
もっとも母親は父親の見合い写真で一発でコロリ
不細工だったので面食いだった。

しかし、見合いで離婚する比率が高い
とはならない。
これを「我慢」と解釈するひともいるけれど
現状をみると、恋愛だろうが見合いだろうが関係ない。
これが結論でしょう。議論の余地はないのだ。

しかしそうなると恋愛とか結婚はなんだろう?
まるで商店街のガラガラポンのようではないか?
あなたのその愛とやらはアタリかスカか・・・

愛の誤算は「情」というものを軽んじたところから
はじまっていたのだ。

愛だけを唱えても信じても
それは漠然とした虚構でしかない。
恋人たちよ情けを否定することなかれ
それは不純ではない。
愛は情によって紡がれていく育まれていく
ふたりの物語として
愛情物語
カーメン・キャバレロの珠玉のノクターン
To Love Again
http://www.youtube.com/watch?v=tlVrTjD7ZGs