あかんたれブルース

継続はチカラかな

逆マグロな人

マグロな人(3)


表があれば裏がある、としましたが
世の中そうそう一筋縄ではいかない。実は逆もある。
逆マグロの人がそれだ。

表裏逆これを馬太郎の三蔵「経・律・論」として
仮に経子とします。

「こんちわっ、お元気ですかあ
 私はちょっと落ち込んでまあすっ
 この間、若い子をツマミ食いしたら
 『AVみたいって』って言われちゃって
 これってどういう意味ですかあ?」

と経子からメールが届きます。
御察しの通り、彼女は築地に水揚げされたマグロではない。
大海を自由に泳ぎまわるカジキだ。
奔放な能動的な魔性の女です。

ところが、こういった心無い評価を受けて
傷ついたり落ち込んだりすることもある。
しかしそれをどういう意味かと問われても
相手がバカだってしか答えられない馬太郎です。
そして、経子よそう意地になって
セックスを仇とばかりにすることもないんじゃないか、といえば
「そんなことないですよおっ」と強がりをいう。
彼女も気づいていないのです。
しかしそれを理屈理論で説こうとしても無理。
本人の気づきを待つしかない。

彼女は生態学的にマグロじゃない。裏マグロでもありません。
前後左右上下夜のイチローだ。
けれども、カジキもマグロである。

彼女のことを世間では不貞の、不埒な、アバズレ、尻軽女
ふしだらな、と蔑むことでしょう。

しかし、わたしは経子が好きです。
とても素直で健気で面白い女性だと思う。

経子は自信家のようで実は自信がないのです。
わたしの決め付けではありませんよ。
実際に上記のメールから二ヶ月後に
経子はそれを自分から認めたのです。

痛いよね。そういうの
せつない

性に対する価値観や認識の錯誤が
やさしい女性を傷つけてしまう。

日本人はセックスをコザトヘン(心)と生として
「性」と訳した。
出発点ではちゃんと理解していたんだ。
それがどこでどうしてこうなったのかこんな感じで
メバチやビンチョウとかカジキとかマグロ化していく。

セックスはプレイじゃない。
確認作業でも義務でも
刺激の追及でもない。
コミュニケーションなのだ。
愛するもの同士が交わす解放の行です。チーん