あかんたれブルース

継続はチカラかな

バージンブルース

マグロ女と芋侍(5)


神話とは、所詮は与太噺。だから神話なのだ。
安全神話がはじめて揺らいだ1995年のそれ以前に
処女神話は崩壊していたと思う。

処女信奉ってなんだろうと考えさせられます。
いまでこそなくなりましたが、昔の昼メロとかでは
そうじゃなかったと夫が姑が激怒して大変な騒ぎとなる
そんなシチュエーションが描かれたものです。

こんなのは明治中頃からの風潮だ。

考えてごらんなさいな。
再婚だったらどうなるんだあ?
惚れて一緒になるわけじゃないですか。
そういうことにこだわる馬鹿男はハナから愛してなかった
といわれても仕方がない。

蒲田行進曲』のヤスに喝采とエールと感動がうまれるのは
他人の子を宿した小夏を引き受けて愛すわけだ。
それを奇跡とするか、絵空事のフィクションとするかは自由。
けれども感動できた人は幸いだ。
愛の手掛かりなのだから

なに?そこに小夏とヤスの格付けが? 関係ないね。

惚れたもの勝ちなのだ。

娼婦に恋する男はもの多いです。
落語でも浄瑠璃でも心中物があるように
関係ないんです。
吉行淳之介などもそれを文学のモチーフにしたものです。


1980年頃、便所便所と自分を公衆便所と歌う
自虐女性ブルースシンガーがおりました。

すんまへんのブルース
http://www.youtube.com/watch?v=E2q2uRNs2hc


ばんざい!