あかんたれブルース

継続はチカラかな

水の分量間違った国体

子供王国(6)


ミスとらる嬢がよく嘆くというか憤慨するのが
なにかというと
「あなた達はファシストだ」とか、
レイシスト(差別主義者)だ」
いう人たち。

まるで水戸黄門の陰嚢のように
したり顔でこういって胸を張る馬鹿がいます。

試みに「ファシストって何ですか?」と聞いてみてください。
十中八九ちゃんと答えられませんから。
なんとなく雰囲気で使ってる。
なんかモゾモゾン宣たまいだしたら、悲しい顔をして席を立とう。

まあ、こういうのはアレですね。
赤子を抱く見知らぬ母親に
「あなたヤリましたね!」と毅然と真実を暴いたような
気になってる変な人です。
電車だったら乗客に取り押さえられて駅員に連れていかれます。

野暮を通り越して失礼極まりない。

この国にファシストなんてそんな根性のすわった人はいません。
差別は蒙古斑みたいなものです。
この国のそれは大人になってもなかなかとれない。

えっ?言葉狩り
なに言ってるんんですか、使うななんていってませんよ。
どんどん使ってください。どうぞどうぞ
言った言葉には責任もってくれ。それだけ


「国体」について話したいと思います。

国民体育大会じゃないよ(汗)
国を束ねる基とか拠所というかです。
現在日本では
天皇を中心とした秩序(政体)」となっているようです。

天皇や皇室にそれほどの力があるとは感じませけどね。
しかし、それが故にか天皇制アレルギーもあって
この「国体」という言葉にもアレルギーがあるかも。

ほらどこからか聞こえてきますよ。えっ?ファシ?
ファッションセンターしまむら

そういうことで、日本が国としてまとまりがないことにこそ
意義を感じ、それが民主主義、平和的国家と考える
人も多いものです。

先の戦争は不自然にまとまりすぎたわけですからね。
気持ちはわからないでもない。
それもあって政教分離は非常に厳しくされている。

世界には宗教を国教として、それを束ねとする国は多いものです。
イスラム教とかキリスト教など
それくらい国を束ねるって大変なことなのです。

日本人はそもそも信仰心の薄い民族ですからね。
それもあって、明治に文明開化した日本は
欧米各国に不信をもたれました。

キリスト教を信じない、つまり「=野蛮人」という偏見だ。
そんな国の野蛮人とまともに付き合えない!
これも不平等条約の不平等の原因だった。
差別の要因になったわけです。
かといってねえ、明治憲法で日本をキリスト教にしようなんて
思いませんものね。考えた人はいたかもしれない。
現に日本語の漢字カナ文字をやめてローマ字にしようとか
外人と混血して改造人間になっちゃおうか、とか。
ホントの話ですよ。

この問題に頭を悩ませていたのが新渡戸稲造だ。
日本人の誤解を解くために著したのが、あの『武士道』だ。

これが世界的な大ベストセラーになった。

これである程度、日本人に対する偏見はやわらいだわけです。
キリスト教信者じゃなくても、日本には「武士道」がある。

仏教関係者や神社関係者は臍を噛んだことでしょうが
まあ、とにかくめでたしめでたし。ここまでは

しかし、いまこの国に武士道なんてない。
クリスチャンでもない。
国際社会で信用されないバカにされてるのは
そんなところに原因があるのかもしれませんね。

そして、国を束ねるまとめるって大変なことです。
まとまらないのがいいという人もいるけれど
それは限度によるもので、真ん中はないのか!と思う。

色々な意見はあってもいいけれど
その色々な意見にも質が要求されます。
考えなしに平気で他人にファシストだとかハゲタニストとか
そいう心無い意見を尊重する原則論的な発想は国を潰すぞ。

わたしは、宗教とかに頼らなくても保ててきた
この国の民族性が好きです。
新渡戸稲造はそれを表現するのに「武士道」を用いた。
でもね、当時の日本人の人口比率から武士なんて一割いない。
いわんとするのは新渡戸の武士道を否定することじゃないんですよ。

なんというか武士道を支えている
もっと大きな日本人道というのがあったと
おもうのです。

親切で慎ましくフェアで慈悲深く、謹直ないろいろな美徳が
(そりゃなかには色々いたでしょうが)
なんかそういうものが日本の国体だったのではないかと思う。

そういう美徳が失われつつある。
だからおかしくなってきているんじゃないですかね。

なに?民族主義者だ?
そうです。
それでけっこう毛だらけ馬ハゲはじめ尻毛はあるけど胸毛はない。