あかんたれブルース

継続はチカラかな

東京流れ者歴34年

子供王国(5)


この国の感性は超近視で遠くのものが見えません。

見えないこともないのですが
不安と怖れから近くのモノ、事象、偶像の動きに
過敏に反応する傾向が強い。

風が吹けば桶屋が儲かるという諺がありますが

風が吹く→砂ぼこりが目に入る→目を患って、盲目が増える→盲目の人は生計を立てるために三味線を弾く→三味線を弾く人が増える→三味線に使用している皮(猫の皮)が大量に必要となる→猫が減る→天敵の猫が減り、ねずみが増えて桶をかじり壊してしまう→桶屋が儲かる。

この国では
風が吹けば闇の権力者の陰謀(世界征服を目論む?)か
「盲人」という表現を差別的発言と非難するか
縁起が悪いと雨戸を閉めるか

目先のことに翻弄されるか、先を見越しても的外れとか
過剰反応や理論の飛躍とか本質を見誤ることが多い。

震災時に警告がなされた「風説の流布」と同じ現象が
日常茶飯事に起こります。

そういうことを注意すると
「色々な意見はあっていい」と切り返し胸を張ります。

色々な意見があってもいいけれど
その意見にも出来不出来良し悪しがあって
愚劣劣悪つまらないもの、人騒がせで人心を惑わす恐れの
困ったものもあるとすれば、

「そんなこといったら何も言えなくなる!」
とか、
「あなたは自分の意見が正しいとなぜそう思えるのか!」
とか、上から目線とか男目線とかの批判が返ってくる。

そんなに主張しなきゃならないのか?
と思ったりもしますが
ま、言いたいというのだから個人の自由なので仕方ない。
ただ、それが酷いものならほおってはおけないじゃない。


この国が古代宗教の特徴である神話に司られていると
記しましたが、これは偶像崇拝です。

日の丸(旗)や君が代(歌)に対する意識もそれで
これを憎み否定し抹殺することで平和になると信じる
偶像逆崇拝ですかね。

それは言葉に対してもある。

言葉狩り
まるで中世の魔女狩り、東西冷戦時の赤狩り
文化大革命の強要される「自己批判」のようでした。
下火にはなりましたが、純然とこの国に根付いた、というのが正しい。

差別意識に過敏なあまりよけいに差別を生む。
平等意識から不公平が生まれ、身動きがとれなくなる。
その平等意識というのも実は怪しい。

目新しい、まだ手垢のつかない響きのよい言葉は受け入れられる。

震災から「絆」という言葉が脚光を浴びました。
そのときから、大丈夫かなあ・・・と危惧はあった。
すこしだけこのブログでも取り上げたけれど
せっかくみんなで「がんばろう」に水をさすこともないと
黙っていようと思った。


震災の瓦礫処理受け入れが遅々と進まない。
そのニュースのたびに、まったくこの国は自分だけよければで
ゴミ処理場も刑務所も墓地も基地も・・・
自分の住むところには嫌なんだよな。他だったいいのか。

なにが絆だよ。と思っていた。

ふた月ほど前だったか、ある友人が
放射に汚染された瓦礫は焼却すると大気中に汚染物質を撒き散らし
人体(特に子供)に悪い影響を与える危険性があることを訴えていた。
だから、そういったものを心情的なものだけで
全国に分散させないで、できるだけ被災地で処理したほうが
最善であるという記事をアップしていました。

考えさせられた。

これはある意味で伝染病の隔離処理と同じです。

そういうと、「被災者は伝染病ではありません!」というのか?
だれもそんなことはいってないじゃないか。ちゃんと読めよ。
そこじゃない。

こういったことをちゃんと国民にわかりやすく解説して
報道するのもマスコミの大きな役割だと思う。けれども、
震災からの爪痕として、瓦礫の山は心情的な演出として使われる。

また、別の友人は被災地(放射能汚染地域)に
早期帰宅しようという動きに警告を発していた。
たとえそれが老人でも、彼らだけで生活はできないわけで
介護や世話をする人や家族もいるわけで、若い人や子供もいる。

なるほどなあと考えさせられます。

こういうのを過剰反応とは、思わなかった。
要はリスクの問題です。

とは別に、地方出身者である自分として
個人的な思いですが、
「そんなにはやく帰らなきゃならないのか」
と思いました。
こんなことを書いたら
「あなたに被災者の気持ちがわかりますか!」と
いうメンド臭い人が現れそうなので、憂鬱でした。

出会いがしらに同じ意見であったら仲良しで
違う意見だったら物別れ。

この国の絆って、なんて儚くて、頭が悪い。

「上から目線です!」

だから・・・もういいよ、勝手にほざけ!

「そんな言い方で切り捨てるなんてヒドイ!」

な、な、泣くなよ(汗)
ごめんなさい。わだじが悪うございばぢだ(涙)