あかんたれブルース

継続はチカラかな

狡猾な大人子供

子供王国(11)


肥大する個(自我・自己)は
自身の器からはみ出るカタチで外部に露出します。
それが外気にあたると刺激が強く
警戒や不安や拒絶があらわれる。

これが、過剰反応やキレるという反応を起こす。
そういう意味では非常に繊細で過敏です。
が、それもこれも個が未熟な所以でもあって、
段階を踏んだ個の熟成がなされていないのがその理由だ。

そこまでいかなくても、
自分自身(個)を自分自身で問い正せない。
常に正しく、完成されていなければならないのです。
反省は自己否定でもあるから
彼らにとって、それは死を意味するほどの途方もない
恐怖と不安の絶叫マシーンお化け屋敷なのだ。

従って、それを通すには
自分以外のものを否定することで自己を正当化するしか
手立てがありません。。

ネットなどで議論が即論争に結びつくのはそのためです。

日本人の稚拙化現象を指摘していますが
ディベートを勝ち負けに直結させてしまうのも
こんなところに原因のひとつがあると思う。

本来のディベートとはまったく異質な解釈がなされている。
ま、日本人自体にディベートはそぐわない。
よく、日本語でディベートはするなといわれている所以だ。


さて、
個の探求を拒否・放棄するわけですから
思考停止状態なのです。
ある種の亡者に化しているようなものです。

その結果、社会性はどんどん失われていきます。
他者とのコミュニケーションがとれないから
どうしても世界が、世界観が、狭まっていく
対して、個は常に肥大の一途をたどる。

つまり、協調や調和がないのです。
あっても同意見のものばかり。
それさえも時間の問題というか何かのはずみで
衝突するのは当然自然の理、因果の果。

とうていこういう状態で満足は得られない。
ここにさらなる個の肥大化が起きるわけだ。どんどん大きくなる。
(なんか見てきたような言い草だなあ(笑))

自分を認めたい認められたい欲求です。
本来これは人間の正当な欲求なのですが、
そのプロセスがデタラメですから
すべてデタラメなものしか得られません。
そのため、個はどんどん肥大化していくわけです。

そして他者と衝突する。許せない、ほおっておけない。
かといって
闇雲に他者と衝突するのはレアケースで
そのほとんどが相手を選んでいる。
勝てそうな相手とか、押し通せそうな相手・・・

今回の事件も現場から200メートル先の道頓堀を渡って
左に曲がった先じゃやらない。なぜか
あそこには大阪プロレスがあるからだ。
ましてや組事務や危ない人の多い西成じゃやらない。
誰でもいいといいながら、そうじゃない。
ちゃんと計算しているんだ。

DV男も相手を物色しているわけです。
やれるタイプかどうか。
突発的にやる場合もありますけどね。
多分パニックになったんでしょう。

また、それとは逆にそういうことができない人は
内へ内へと向かいます。(肥大しながら)
それでも誰かのせいにしたいので最終的には
ひと頃流行ったアダルトチルドレンのように
もっとも身近な親のせいにしていきます。
(親に問題がないわけじゃないんですが、
 そうそう出来た親なんていませんからね)

多種多様いろいろですが、
子供だってことです。
甘えといえば甘えでしょうが、
甘え方がわかっていない。本来、甘えるってことは
相手を理解し認めてこそ、甘えられるもので
それを抜きにして甘えることには無理がある。
子供は親には甘えるけれど、見知らぬ人には甘えません。

個の肥大化した大人子供は
甘え方さえもわかっていない。
子供以下なのだ。

誰がどうというわけじゃなく、こんな人たくさんいます。
当然、自分自身もふくめてですよ。
こういう記事をアップしたからといって
上から目線とか高飛車だとか強者の発想とかいうのは
やめてくれ、うんざりなのだ。

硬い内容になってしまいました。

日本人全体がこういう傾向に陥ってるってことでの
子供王国シリーズの最終回とします。

これはあくまでもわたしの私見です。
なにかの本を参照して書いたものでもありませんから
捉え方に不備な点もあるかとは思います。が、
国民の稚拙化と個の肥大化は密接に関係していると
これは確信をもっていえる。

では、どうすればいいのか
よくいっているように、
己を空しくさせるしかありません。