あかんたれブルース

継続はチカラかな

うり坊の優れコメで本日は大雨



子供王国シリーズ最終回の「狡猾な大人子供」で
肥大する「個」に対して
己を空しくさせる。を結びとしました。

うり坊から
>一つだけ大事なこと!
>人に認められるのではなく、
>自分に認められるような人になれば済む話!

>要するに、自分が大好きになれば、こんなことは起こらないと思う!

その通りだと思う。
あいつもアホのようでまんざらアホでもない。
うり坊が付け加えた大事なこと、これは
自己愛のことです。

この自己愛には、プライドが必要です。

自己愛にプライド、誇り。どちらも今の日本語では
マイナスイメージのほうが強いですが、
そうじゃない。
もしそこにマイナスのニュアンスがあるとすれば、
それはつまらない、セコイ、浅はかなプライドであり、
そういう薄っぺらい自己愛である。

それで満足できる人はそれでいいのですが
そうそう人間ってものは恥知らずで過ごせない。

自分自身は絶対に誤魔化せないですからねえ。

それでも力技で自分を納得させようとする、人も多い。
世の中はこういうものだ、とか。
現実は、とか。

細かいことはここではもう書きませんが
要は自分の問題であって、
好きになれる自分かどうかだけのこと。
世の中がとか、現実は、とかいう言い訳は関係ない。


そんなわけで、うり坊のツッコミは正しい。
それにもうひとつ付け加えれば
やっぱり他者に認められたい、っていうのもある。
両方必要なのだ。
で、それは誰に認められたいか?ということです。

そりゃやっぱり、自分が好きな人
大切に思う人、認める人に、認められたいわけだ。

どうしようもない嫌な上司に認められるっていうもの
なんか微妙というか、自分がそっち側の人間ということで
それを歓んでそっちに真っ黒になっていく人もいます。
そこで考えないんでしょうね。


また、自自身分が嫌いな人もいる。
自虐的なタイプ。
わたしはそういうタイプ割と嫌いじゃないけれどね。
ただ、
酷な言い方をすれば、そんな泣き言ばっかり言ってないで
好きになれるように努力しろよ。と言うでしょう。
そういうのは結果じゃなくてプロセス、姿勢だ、と。

自負心ってやつかな。

しかしこの自負心ってやつも野放しにすると前記の
恥知らずに変貌しちゃうから、難しいものですよね。

普通、自分で自分こと好きだって言わない。
自分で思うぶんにはいいけれど、他人に言うもんじゃない。
せいぜん、「嫌いじゃない」とか、
まあ、まんざらでもないか、と呟くみたいなもんですかねえ。
そういう謙虚っていうのが人間には必要だと思う。

以前、「うちの主人は自分こと大好きです」という
多少自虐気味の女性に、

「そりゃ馬鹿じゃないですか?」

と率直にこたえて焦らせてしまったことがあります。
わたしはときどきこういう発言をする。
別に考えて言っていないわけじゃないんですよ。
しちゃうんじゃなくて、する。ですかね。敢て、ですからね(汗)

ただ、彼女にはそれは通じなかったみたいですが。
まあそれも時間軸の問題だ。
いつかわかってくれればいいよ。

己を空しくさせるということは
そういう訓練とは
こういうことだとも思う。
別にこの人妻に好かれようが嫌われようがわたしには
どうでもいいことなのだ。
ただ、この無神経な発言からその言葉の意図を読み取って
くれたら、わたしは嬉しいですけどね。

そういう人たちにわたしは認められたと思う。
それ以外の人は、それなりに、でかまわない。
どうでもいいというわけではありませんが、まあそれなりにです。
恋人でもなんでもありませんから
そこまで手取り足取りは物理的に無理ですからねえ。
あとは自分で考えてくれ、という感じでしょうか。
人が人を救うなんて、そんなの驕りだ。
ただ、なんかの切っ掛けになってくれればいいと思う。
たとえそのとき嫌な奴だと思われても。


そう考える自分がわたしは好きです。


わたしは、馬鹿です(涙)