あかんたれブルース

継続はチカラかな

その効率性以上の効率

ニッポンの教育改革(14)


合理的、効率性が信奉されて久しい。

東京の地名は○○-1-2-3
という具合になって○○にあたる以外の
町名が消されてしまいました。
蛎殻町とか蓬莱町とかその地名からイメージされる
ものが無機質な数字に置き換えられた。

そのとき、いろいろな反対意見もありましたが
事務処理の効率性で押し切られた。

そのくせ、裁判には非常に時間がかかる。
法改正にしてもとにかく手順が複雑で
なかなか遅々として進まない。

民主主義というものは時間と手間がかかって
面倒くさいものだ。金もかかってるよね。

そのくせ、役人の事務処理は効率性が最優先だ。

受験制度の問題。
つまりペーパーテストは合否の選別方法にある。
この方法が効率的だというものです。

ペーパー試験は事務処理能力や記憶力等をはかるのに
いいでしょうし、採点評価も楽だ。
論文形式だと、採点者の判断が大きくなる。煩雑なわけだ。

ペーパー試験がすべて悪いわけじゃないだろうけれど
そのために多くの弊害が露出してきたわけです。
日本人の基礎学力、思考力、コミュニケーション能力低下の
大きな要因であることは明らかです。
なのにそれが改められない。

後処理のための効率性よりも
もっと大事なことがあるんじゃないかなあ?
もっときめ細かい工夫があっていいと思うのです。

人間には個性がある。

英語がまったくダメな馬太郎ですが
歴史は得意でした。年表なんか覚えないけれど
それを捨てても97点はとれたものだ。
うり坊は国語がダメです。
よし姉さんは習字が上手い。
JJ.は下ネタが・・・上手くはないが、好きです(涙)
得意不得意はある。これも個性。
また、平均的にバランスのよい人もいる。
これも個性。

そういうのもを、もっと大切にすべきだと
思うのだよな。合理的に。

御都合主義の効率性じゃあ
もう限界がきているんだ。
もっと工夫と努力するべきなんじゃないかな。

いま尊ばれている効率性は
目先の効率性であって、本来の効率から逸脱していないか?
無駄や弊害や非合理が多すぎるのではないか?

ザルだよ、ザル。


結局、結果的に非効率だ。