あかんたれブルース

継続はチカラかな

遂に良識派怒る

根本的な勘違い(4)


大津事件の衝撃、反響、批判・憤懣が拡大しています。
今回は高齢の良識派Gたちも黙っていられないようで
色々な叫びを聞きました。

あの中学校は滋賀県内でも一、二を争う有名進学校だとか。
どんなに偏差値が高くても駄目だってことです。

元証券会社重役のKGは「法改正」の必要を叫んでいた。
あれは「犯罪」なんだと。
本来、警察が教育現場に立ち入ることは
これまでの(歴史的)経緯で問題視されることなのですが
こういう事態にまでなると、そういった原則論では
野放しになるだけ。

人権の捉え方です。

文科相の局長だったTGは加害者以前に
教育機関側の責任問題について言及していた。
処分ですね。

学校長は勿論、すべての教職員はクビだという
厳しいものだった。
あのような事件を容認したことは教育者として失格。
というものです。
現在、文科省から調査員が行ってるようですが
学校長の責任は絶対に免れないでしょうね。
担任以外の他の教職員もすべて連座するというのは
酷なような気もすると考える人もいうでしょうが、
教育の現場で見て見ぬフリをした行為は大きいと
あの温厚なTGが一歩も引かない。

TGはさらに叫ぶ。

なぜ、あの事件が発覚したときに
学校を一週間ないしはある期間、閉鎖しなかったか、
についても憤っていた。

ああいった酷い事件が起きても
何食わぬ顔でその学校で正規の授業が執り行われた
平常な学校生活が送られたこと、そういう感覚が
信じられなのだと嘆く。

そういう教職員によって学ぶ、生徒たちは・・・

少なくとも、一週間は閉鎖して、
校内の(なんか聞くところでは荒廃しているとか)
壁などを塗り替えるとかリニューアルさせる
べきだと言ってました。

当然、教育委員会も、ですが
これは全国的に機構を見直すびきだといっていた。
こちらは大きな話なのでなかなか大変でしょう。

もののわかったG達の憤りを爆発させた理由は
あの事件の卑劣さ残酷さは当然ですが、
それに対する学校側の対応、態度でした。

態度だ。
表情のこと。

事なかれ主義、無責任。

日本人の病根はこの無責任にあります。

いぜん、そのことについて
戦後の東京裁判による戦犯、戦争責任が原因してると書いた。
あのとき、裁かれ処刑されたものは損で
裁かれず、もしくは裁かれても助かったものは得という
価値観が生まれた。

そりゃねえ、戦勝国が敗戦国を一方的に裁く。
そんなもので裁かれて処刑されるのはバカバカしいと
考えるでしょう。

しかし、そこで大切なものを失った。
生死観が変わってしまったんだ。
命あってのモノダネ。

毎年、八月の終戦記念日になると
さきの戦争の過ちを反省する、と当時に
A戦犯たちの戦争責任を追及する特集が組まれる。

死人に口なし。死んでいった者にすべて責任をひっかぶせて
澄ました顔をしてるマスコミの姿勢には毎度腹がたちます。

あの戦争は一部の軍部と右翼のせい、だけじゃない。
あの戦争は国民が求め、マスコミが煽り、
国民がさらに熱狂したから暴走した。

そのことをどれほどの現在の日本人が理解しているだろうか。

それもこれも、無責任な姿勢、日本の国体の堕落にあります。
それが今回のいじめ事件の根底にある問題だと思う。

今後、事件の収拾をめぐって
学校責任者への厳しい処分があるでしょうが、
それを「見せしめ的」などと捉えないで
当然の責任の在り方であると、認識してほしい。
まず、そこからです。

行き過ぎた、消費者至上主義や人権擁護、権利の拡大解釈から
さらなる悲劇が起こっていることを
考え、是正しなければならないと思います。

モラルハザードが蔓延する禍根の正体は
日本人の教育観からのものだ。
学力の問題以上の、重要なものです。

勝てばいい、儲ければいい、罰せなければ何をしてもいい。
こういったを競争原理とか国際競争、グローバル云々とかの
言葉で誤魔化さないでほしい。
言語や文化、宗教は異なっていても
そういった姿勢では、通用しないし相手にされません。

「現実現実というけれど、社会に出れば
 現実は嫌でもあるのです。
 学校が、教育が、理想を目指さなくてどうするのですか」

FGの叫びが忘れられない。

確かに今の先生の質は酷すぎる。
しかし、だからといって先生すべてが駄目なんじゃない。
問題は、環境や価値観の問題であって、
そういう常識のなかで疲弊しながらも苦闘してる
先生もたくさんいるわけです。
環境が劣悪であるほど、正当な者たちが疲弊している。

法や制度だけで十全な社会は生まれません。
原則論だけを前提にして、それを死守する
番人のような振る舞いは、卑怯だと思う。

会津藩の教えにあるように
駄目なものは駄目。
こういった筋の通った教えがなければ
駄目だと思う。

すべてにおいて過信してはいけない。
人間なんてものはいいかげんなものだ。
それを保つには、戒めや畏怖したうえでの
ビジョンがなければならない。

現実論というならば、まず
これこそが、現実なのだと思います。