あかんたれブルース

継続はチカラかな

億単位の上の50歩100歩

根本的な勘違い(7)


頭の良し悪しについて考えてみたい。
これは男性でも女性でも大きな魅力のひとつです。
女性は頭のよい男性を求め、男も頭のよい女性に魅了される。

ホントだよ。やさしいとか面白いとかはそれに付随したもので
そういうものは頭の良さから生まれます。

最初の勘違いは
頭の良さというものを、狡猾とか冷酷とかと捉えることで
そういうキャラクターの人はさほど頭はよくない。

IQでは頭の良さは計れなものです。

ひとつは、頭の良さに精神的な成熟が欠かせないからだ。
よく、勉強はできるけれどどこか抜けてる人っていますよね。
何とかと天才は紙一重というやつです。
バランスが悪いのだ。

それも個性ですが、すくなくとも
精神的な成長が伴わない頭の良さは、アウトとしていい。
人類の発展にも百害あって一利ないでしょう。

しかし、社会があまりにも偏った頭のよさだけを
信奉するので、頭の良さに背を向ける者たちがいる。

どうせバカですよ!と開きなって
知識や教養を否定し
ある意味でバカを売り物にする場合もある。

実際はそんなにバカじゃないのですが
バカであることにアイデンティティーを求めている。

ま、それも有りかなと思うのですが、

かといって、知識たとえば書物をそんなに毛嫌いすることも
ないと思うのだけれど、頑なに拒絶する。
きっといまさらそんなの注入しても中途半端なバカになるだけ
そんなことを怖れているのかもしれません。

足場は低いほうが安定すると考えているのかも。
これも勘違いだな。

類は友を呼ぶで、バカは集まる。
そして、それ以外のものを、否定し敵視します。
ガリ勉、秀才、高学歴、標準語、バイリンガル、趣味は読書、
ピアノを弾く人種、バイオリンを弾く人種、三味線を弾く者、
クリスチャン、右翼、左翼、平和主義者、自由主義者
一流上場企業の社員、偉いさんだったらなおのこと、
宝塚、オペラ、ワインに精通する気取った連中、
日本酒をウンチクを宣まわって飲む人、
「欧米では、」「もっと議論すべき、」が口癖の人、
などを毛嫌いする。

まるで昭和40年代までいた近所の犬です。
五時のサイレンが鳴りました。

バカはサイレンで泣きます。

日本人は劣等感と優越感の双方で揺れる民族です。
どっちかではなく、一流の劣等感をもとうよ
と遺言したのは吉行淳之介だった。

固有名詞を出されるのも嫌いです(汗)

一流とかが、嫌い。
そのくせブランドものは好きです。

自分は頭が悪いと思い込んでいる。
いやホントはそうでもないとは思ってるのですが
白黒はっきりさせるのは嫌なので
バカの特権を免罪符にして、ひと味違う光るアウトレットでいたい。

選ばれし者、という言葉に抵抗がある人もいる。
自分たちは選ばれていない。と考えるからだ。
そんなことは、ない。それは勘違いです。

私達は父と母の性交によって誕生した。
あの日あの時あの瞬間、父から膣に射精された
精子の数は数千万~数億個
のなかの競争を勝ち残ってきたものたちです。
このとき既にオンリーワンなのだ。

つまり、50歩100歩という言葉があるけれど、
数学のテストが100点の人と50点の人の差は
数000000100と数00000050の違いでしかありません。

ね。


頭の良さってなんだろう?

このブログでは以前それを、洞察力とか想像力としました。
もっと具体的にわかりやすく言えば
「集中力」かもしれません。

これが欠けてる人は確かにいる。

しかし、なぜ集中力が欠けるのか?
興味がないからなんだと思う。
だから、頭の良し悪しでそういうのをジャッジするのではなく
興味をもつ工夫が肝心なのではないか。

だから、知識や教養を否定しちゃいかんのです。
そこから芋づる式に好奇心が沸き興味が芽生えていく。
足らないのはその工夫であり、
保身のための固定観念だけです。これが思考停止を生む。

そんなに心配しなくても
心配するほど賢い人などそうそういません。
ほとんどバカです。
人間とはそういうものなのだ。

やくざはね、そういうことを理解していた。
だから自分たちの生業を
「利口じゃやれない、バカじゃなおやれない」
と説くわけだ。偉いものです。