あかんたれブルース

継続はチカラかな

誤った記憶偏重教育の厄災

教育改革前夜(2)


日本人は迂闊にも感性教育というものを軽んじてしまった。

性教育とは音楽とか美術などです。
別に芸術家で食っていくわけじゃないから
そんなのどうでもいいと考えてしまった。

どうでもよくない。

知性と感性はセットになって稼動するものです。
だから文科省の必須科目にも入っているのだ。
どころか、歴史や理科でさえもやらないのが
今の日本の現状です。受験勉強に関係ないと、しない。
こういう合理的(?)な考えが幅をきかせている。

本日は感性教育の重要性がテーマなのでだ、
こっちに話を絞りますが
頭の良さとは記憶力ではないのです。
考える能力なのだ。

ハーバー大学では一年次に美術が必須科目になっている。
合理的なアメリカ人が、ですよ。

ハーバード大学といえばアメリカの東大です。
英国のオックスフォードやケンブリッジに匹敵する
超優秀な学生が集う最高教育機関だ。

記憶偏重の教育は想像力を妨げてしまう。
戦前の昭和研究会で坂西利八郎が
清国・清国人の堕落の一因を「科挙」制度からの
弊害として、そう指摘してリポートがある。

音楽や美術は決して無駄じゃないんだ。
書道でも料理でも技術工作も無駄じゃない。
記憶ばっかり詰め込んで教育すると人間は馬鹿になる。

ほら、みてみなよ。
馬鹿ばっかりじゃないないか。

記憶力(による知性)が石炭とすれば
感性は酸素のようなものです。
酸素がないと燃焼しない。
こういう点を科学的に立証しないと
性教育の重要性が「きれいごと」とか「理想論」
といわれてしまう。

今回の熱海合宿でこの問題が議案にのぼり
参加したS氏は13日に渡米。
ボストンにあるハーバード大学を訪問し
その美術教育を調査しています。

補足すれば、これは環境も重要であり
美しい自然環境こそが重要であるともいえる。
そういった場所から天才が輩出されるともいいます。
別に天才を量産したいわけではないのですが
人間を育む環境として、感性教育は重要であることの一例。
これも戦前の昭和研究会で発表させている。

私達世代は学校とえば壁や廊下になど至るところに
印刷物ではあっても絵画が飾られていたものです。
もしくは、生徒の作品等が貼られていましたよね。
驚かされたのは
大津のいじめ事件の問題の進学校はそういうのが皆無で
この傾向はレアケースではなく
多くの進学校の特徴のひとつだそうな(汗)。

こういった誤った合理主義が日本人の心、感性を
蝕んでいた。荒廃していく環境のなかで
いじめもそこから生まれた。ともいえる。

どんなに偏差値が高くても
いじめをやるような人間は、頭はよくありません。
こういう人間が社会に出てもロクなことにはならない。
これは過去の歴史からある程度立証される事実だ。

現にそれを文科省も企業も認めているわけです。

もし、この記事を読んだ
お子さんをもつ保護者の方がいましたら
学習塾で受験テクニックを詰め込ませるよりも
絵画教室やピアノ教室に通わせたほうが効果は抜群だ。

えっ?そうはいっても?

現在の受験システムと就活は確実に変わりますよ。
一歩先なんて無理なことはいいません。
半歩先をみることも大事なのではないでしょうか。

もうひとつ付け加えるなら、適度な運動かな。
ま、とにかく偏った教育で子供をダメにしないこと。
これが親としての責任であり務めではないかと
思うわけだ。