あかんたれブルース

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流れは確実にこっち

教育改革前夜(1)


再び、日本の教育制度改革に話を戻します。
これまで記事にしてきた
大学入試制度全廃なんて過激で荒唐無稽と思われる方も
いるでしょうが、どうも時代の流れがそっちに傾いている。

高大接続テストって御存知ですか?

高校の一年と三年の二回に五教科全国共通で行う
これをもって現在の大学入試制度を変える。
このアイデアが完璧とはいわないまでも
現在の教育問題を是正するにはある程度の効果は見込める。
文部科学省も実は乗り気)

反発があるとすれば、教育現場と親御さん、それとマスコミとか?
ゆとり教育弊害の後遺症がまだ残っていることからでようかね。

でもね、文科省が行ったゆとり教育自体が不味い。
という考えは早計であり、それを批判して
もとに戻す現在の流れは、逆行そのもです。
問題はゆとり教育じゃない。

1970年前後から日本は公害問題が大きな課題となり
それに取り組んできた。
その頃、受験戦争も社会問題化して、
その是正のために考案されたのがゆとり教育でした。

ゆとり教育の問題は、大学入試制度に着手できなかったが
ために、汚染物質が垂れ流しになって
ゆとりに塾が付着したということでしょうかね。

今回、ある意味瀬戸際で高大接続テストに切り替えようとする
文科省の姿勢は、それほどに事態が深刻化している現われです。

弊害を是正する。

なぜこんな当たり前なことが難しいのか?
教育というものに、様々な利害や利権や思惑があるからだ。
しかしそれはあまりにもごく一部の利権でしかなく
その利害や思惑もだいたいが勘違いなのだ。
固定観念のような安全神話のようなものです。

そんなセコイもので日本が疲弊し立ち行かなくなって
崩壊したっていうんじゃあ、実につまらん。
と、思わない?

教育問題はある意味で経済問題と同じです。

今年二月に出版された
『大学入試の終焉―高大接続テストによる再生』
の著者・佐々木隆生氏も経済学者です。

基礎学力の低下、おちこぼれ、経済格差から教育の格差問題
少子化に伴う「大学全入」は大学入試の選抜機能を低下させた。

わたし思うに、経済とは流通であり循環させないといけない。
一箇所に集中したり一方向だとダメなのです。
教育も同じ、国も同じ、人間も同じなのだ。

もっといえば、人間の脳(能力)も同じです。

そういった話を絡めて記事にして
いこうかなあと思います。