あかんたれブルース

継続はチカラかな

スパじゃない(涙)ルネサンスを!

銀が泣いている(2)


わたしたちはなぜ
か弱いものに愛おしさを感じるのだろうか?

幼きもの、女性、年老いたもの・・・

昨日、記事にした坂田三吉は教養のない無学なもの
という点ではか弱きものです。
無法松と同じだ。腕っ節は強くてもちょっと足りない。
男はつらいよの寅さんのような
放浪の画家、裸の大将、山下清のような

うちのマンションの一階に幼い女子がいる。
彼女が二、三歳の頃でしたか
朝ゴミ出しいくときに突然駆け寄ってきて
「おはようございまーす!」と元気に声をかけられた。
わたしは一瞬、固まって慌てて
「お、おはようございます!」と最敬礼しました。
あの子ももうすぐ小学生。
先日、幼い弟と一緒に、また元気に発破をかけられた。
「おやようございまーす!」
「おはよう!」

純粋というか無邪気というか、邪念がない、
そういうものに、わたしたちは救われるのだ。

わたしたちの棲む世界は駆け引きとと憶測と裏読みと
抜け目のない狡猾で人間臭い邪念の渦の吹溜り。
大きく息を吸い込んでなんかいられない。
気を引き締めて、潜めていないと
いつなんどき裏切られ
掠め取られるかわからない、そんな世界に生きている。

そんななかで、彼らの存在はわたしたちを救ってくれる。
たとえ、フィクションの世界であっても
そういうものが必要です。

特に日本人は四季や豊かな自然から
侘び寂びの心、もののあわれを知っていた。

侘び、欠けた不完全な未熟なものへの思い
寂び、むなしさのなかの達観や哲学
もののあわれに決して絶望するのではないく
美しさを見出す審美眼やエロティシズムを感じる

そういう感性と知性を有する民族でした。

ところが、それが枯渇している。

韓国や中国のことは、この際横に置いてみて
日本人として現在の日本人を考えてみよう。
なんかぜんぜん優しくないんだよなあ。
(韓国中国に優しくしろっていうことじゃないぞ)
そして厳しさもない。

民度というものを
豊かさと比例して向上するなんてまったく間違いだった。
日本人は近代化を工業・経済的発展イコール豊かさと解釈して
ここまで信奉してきたけれど
その結果がこれだ。

もう一度、原点に立ち戻って
豊かさや幸せを考え直してみようよ。

14世紀から16世紀にかけてヨーロッパで
ルネサンスという(古典)文化復興の運動がありました。
ルネサンスとは「再生」「復興」を意味するそうです。

日本では幕末、一大カルチャーブームが起き
これが明治維新の原動力になる。
欧米列強の植民地政策から例外的に侵されなかった
理由のひとつだ。
日本人がすべて狂信的な攘夷論者だったら
ナショナリズムに侵されていたら)
龍馬だけでなく、
桂も大久保も西郷もみんな殺されていたはずだ。

税制、財政、経済、外交・・・
再生すべき復興すべき問題は山積みですが
日本にいま必要なのはルネサンス
文化復興なのだと思う。
それがなければ、立ち行かない。
ほら、目先の損得勘定では何も解決できないことが
暴露されているではないですか。

それがなければいじめ問題も解決できません。
法整備だけではダメなのです。

もう一度、原点に戻って
優しい日本人に戻ろう。
今のようなそういう甘い
いいかげんな優しさじゃだめなんだ。
知性を取り戻そう。

挨拶ができない、怯える姿勢を改めよう。
ダメなことはダメとちゃんと注意しよう。
自分もダメなことはやらないようによく修めよう。
弱いものいじめして憂さを晴らしたり
そんなことで優越感に浸る愚かさを恥じよう。

まずそこからだよ、そこから。
そこ、そこそこ