あかんたれブルース

継続はチカラかな

濡れる街角

銀が泣いている(3)


横浜の街を歩くとき
いつも感じるのは、
横浜の人たちは東京の人たちとは違う。
ということです。

大阪と神戸の違いとはまたひと味違う。
まあひとくちで東京の人といってもアレですけどね。

ああ、おもえば遠くへきたものだ。

外人墓地を背にして港の見える丘公園から
横浜港を見下ろす。
「私たちこれからどうなるの」

不意をつかれて言葉を失った。

「先々のことを考えると・・・」

彼女のその後の言葉が思い出せない。
あのとき、なんていったのだろうか。

いま、ここで
あのときと同じような場面が再現できたら
わたしは決して彼女と別れなかったと思う。
同じ場所、同じ8月18日。そうこの日は彼女の誕生日だった。
違うのは、歳を重ねてしまったこと。

若さ、を眩しく語るけれど
若さは残酷です。
あまり見えないあまり知らない、ゆるせない。
経験や知識や、考える時間が足りないのだ。

わたしの肉体はもう年老いてしまったけれど
この経験や知識だけをもって、つまり脳ミソね。
この記憶を残したまま、あの場面に戻れたら
わたしは決して彼女の手を離さなかったと思う。

別れる理由がない。

彼女の面影の先か後か、違うところに思いを移していた。
永遠とか理想とか

現実主義者を自認する人たちはそれを嗤う。
それは違うなとあ思った。
また、
よく、訳知りの人たちが
世の中は、人生は、運だという。
それも違うと思った。

そういうものを言い訳にしているけれど
そのほとんどは自滅だ。
自ら、しくじってしまっている。
こっちのほうがより現実的で、厳しい。

もうひとつの現実は、時間は決して後戻りはしない。

有限の人生のなかで
人はどれだけの人と出会い、いえ、誰と出会い
何回後悔できるのだろう。
そう考えると、後悔できることもそう悪くはない気がします。
後悔しない人生というけれど
なかなかそうはいかないし、それで済むほど単純じゃない。

先月、めでたく53歳をむかえて
冥土の旅の一里塚(汗)
わたしは若さを渇望するよりも、憎い。
このままでいいから、あのときに戻らなくていいから
彼女が婆になっててもいいから
もう一度、いまこの場所に彼女がいたら・・・

「私たちこれからどうなるの」

「先のことは誰もわからん。一寸先は闇」

「先々のことを考えると、」

「わからんことをいくら考えても埒あかない」

「でも」

「今を一生懸命生きていれば、道は自ずと開けるよ」
 
「・・・」

「大丈夫だよ。俺がずっと一緒だから、大丈夫。
 ほら、あんなところにドン・キホーテがあるよ。
 なんか買って行こう」

わたしは彼女の手をとって坂をくだった。
彼女の手をすこし強くにぎった。
彼女もそれに反応してにぎり返した。
潮風の匂いがした。

さて、ここで問題
わたしたちがドン・キホーテで買ったものは
(1)セーラームーンのコスプレ衣装
(2)コラーゲン内服液
(3)ウーロン茶