あかんたれブルース

継続はチカラかな

「子は宝」というならば

8時だよ全員アスペルガー!(4)


また友人の知り合い、というか妹さんなんだけど
アスペルガーだという話しを一昨日聞いた。

社会とうまく付き合えなくてニートなのだそうです。
困ったねえ。弱っちいといえばそれまでだけれど
どうもそんな単純な問題じゃない気がした。

前回の話で、日本は戦後
社会環境が大きく変わったとしました。

夢塾では知性の教育だけでなく
感性の教育も同じくらい重視してバランスを
とるべきだと主張している。

この感性についてですが
わたしには忘れられない漫画のストーリーがあります。
あれはわたしが高校時代で今から30年ぐらい前でしょうか
別冊マーガレット
くらもちふさこの作品(タイトルは忘れた)で

主人公がボーイフレンドとクッキーを分けるシーンで
(箱の中のクッキーが)
「三個じゃなありませんように」
と祈るシーンがある。
偶数なら仲良く半分コできるけれど奇数だと
遠慮したりなんかでめんどくさいのだ。
(コミュニケーション能力の低下?)

こういう繊細というか甘え下手な心理描写が
読者に受けたということは
それを感情移入できる読者が多かったということです。

1675年ぐらいの話です。

その後

そういう繊細さを社会が否定してしまった。

ただそれを、ナイーブと判断するか美徳とするか
は一概にこうだああだとは言えないと思う。
1970年から日本は豊かになったことから
クッキーに執着しなくなったともいえる。
また、テレビやコミックなどで主人公のマニュアル化が
進んだとも考えられる。(いい人症候群)

それ以前の日本人は民度も低く色々な人がいました。
ガサツだったのです。
とは別に、家庭や学校、社会教育で
清廉や美徳も信奉されていた。
どっちもどっちですが、
やはり社会環境は後者に比重が置かれていた。

それが1980年代以降、変わったんだろうと思う。
シビアでクールがもてはやされてきた。
成果主義や数字が重視され、謙虚や謙譲なんて邪魔になる。
自己主張してナンボのもんで、上がってナンボという時代。

そういうのが肌に合わない人が出始めたんだろうなあ。

それを一口に「弱い」といえるだろうか?

別な知り合いの子供がある日突然、不登校になった。
いじめられたわけでもおちこぼれだったわけじゃない。
学校の雰囲気が嫌、という理由。
これを曖昧な理由といえるのか?
景気というのは実は「気」であって雰囲気です。
世の中はこの「気」に支配されています。
その子が嫌がる「気」が学校や教室に充満していた。
感性の強いその子はそれを察知して、拒絶反応を示した。
と考えてみたらどうでしょうか。

これはひとつの警告でもあったのではないか。


欝病もいろいろあるように
アスペルガーにもいろいろあるわけです。
ひとつ思うのは、知性・感性の教育以上に
受け皿としての
社会環境というか価値観を変えないと
不味いんじゃないかと痛感します。

いまの世の中の合理的とか効率性は
結局、非合理で非効率でることを早く気づいて
変えないと、不味い。