あかんたれブルース

継続はチカラかな

「子は宝」というならば2

8時だよ全員アスペルガー!(5)


なぜ、社会性がなくて排除されるアスペルガー
仕事で成功するといわれるのか?

それはアスペルガーのごくひと握りのレアケースで
その特性が現在の経済システムにリンクしてみたから?

それもあるでしょうが、
このときの発言にニュアンスはそうではなかった。
なぜならば、この後に続く言葉は
アスペルガーだけが成功し結婚でき家庭が設け
 そしてアスペルガーの子が産まれ
 世の中アスペルガーだらけになってしまう」です。

このニュアンスからここでいうアスペルガーは天才的な
レアケースを指すものではない。

また、ここでいう非アスペルガーは平均的なその他と
社会性のないものたちも入る。
でも、その社会性のないものたちも
アスペルガーではなかったのか。

このことから、私達がイメージするアスペルガーには
個人差というか非常に曖昧なものがあるようです。
ま、最初の発言者S氏の誤りとすればそれまでですが
なんといってもS氏はそういう生徒を収容する施設の
現場責任者であって、この問題に真から心を痛め悩み
取り組んでいる良識派でもある。
そうそう観念的な思い込みでモノをいう人ではない。

で、馬太郎はこうなったらみんなアスペルガーだ。
としました。種類や傾向、濃度は異なっても
大なり小なりアスペルガーだと。
これで、7割がたはすっきりいくのです。

昔はそれを容認する社会があったけれど
現在はそれを許さない。


では、残りの3割はどうなのか?

先天的なアスペルガーとは別に
後天的なアスペルガーが存在するのではないか。

また、豊かさ便利さなどの社会環境から
コミュニケーション能力などの発育を邪魔してるんじゃないか。
ま、それは社会教育の瓦解にも原因がある。
下手人は
親とか教師とか友人や先輩や上司、制度、価値観ではないか。
ひと括りにすれば(社会)環境です。

先週、臆病な石の話をしましたよね。

そこでわたしは人間はみな臆病な石
のようなものだと記しました。

臆病というのは、知性です。

知性があるから不安や恐怖が生まれます。
蛮勇に知性はありません。
また知性イコール知識ではない。
ネット右翼に知性はないのです。

知性には感性がリンクしている。
これが邪魔なのだ。

武田鉄也が海援隊時代の頃の歌に1975年ぐらいでしょうか
曲名は忘れましたが

♪心を石にして しまおう。

なんてフレーズの歌がありました。
どこかで、社会(人間)との関係や仕事で
心を石にする訓練をしはじめたのではないか。
情が絡めばしがらみが生まれ何かとやりづらくなります。
そういう情(知性・感性)を封印しなければ
とてもじゃないけれどやっていられない。
そういうしがらみを断って、数字だけを判断基準にして
実行できれば、楽だし効率的だし合理的だと。

S氏の投げかけた言葉には
アスペルガーの一側面をデフォルメして
そういう傾向が蔓延していくことを危惧したものではないか。

この問題の本質はあてがわれた近代化の誤解にある。
もっといえば、そのあてがわれた近代化とは
産業革命から特化した欧米のキリスト教文明といって
過言じゃない。

わたしたち東洋人はキリスト教ではなく
その文化は仏教や儒教など独自のものが土台にあります。
それは宗教に無頓着な日本人でさえも例外ではなく
日本人であるからこそ、ともいえる。
それは日本人や韓国人のクリスチャンにしても同じ。

キリスト教は神と契約する。
従って、すべてにおいて契約が前提となります。
結婚もビジネスもすべてそうです。
これが文化であり文明でありすべてなのだ。
個人よりもそのうえに神が存在し
人間と神との二元的な関係が存在するわけです。
(仏教の場合は人間が仏になるわけですから一元的)

とにかく、そぐわないのだ。
その違和感は明治期にすでにあった。それを危惧したのが
高橋健三や杉浦重剛といった国粋主義者
夏目漱石といった朝日新聞の関係者だったわけだ。
(詳しくは朝日水滸伝をどうぞ)
漱石の欝の原因はそれが原因です。

悩まないほうが、おかしいのだ。

しかし、悩んでも埒があかない。

わたしはアスペルガーという区分けを
いったん反故にしてみる必要があると思う。
そのうえで、日本を再生するには
そういったものたちを除外していくような
タコが自分の足を食うような自殺行為ははやくやめて
共生と循環の社会、経済、産業に切り替えるべきだと思います。

べきというか、そうしないと
やっていけなくなるわけだから
これはもう必須条件だと思うよ。