あかんたれブルース

継続はチカラかな

昭和歌謡の福音

プロセスチーズ物語(2)


世の中人生運だという人がいる。
若い者がそうこぼせば、
たしなめることもできるでしょうが
中年過ぎて萎んでしまったひとが漏らした場合は
黙って聞いてやらなきゃならない。


でも思う。その多くが「運」の本質を理解していなと。


私達は誰しも幸運を願います。
だからでしょうが占いなんかが大好きだ。
占いの基は、特にそれが東洋占星術ならば、
易経』が基になっている。

易経』は四書五経のひとつで、
昔の日本人は武士から町人まで
寺子屋に通ったものならば一般教養として学んだものですが、
この『易経』には世の中とか人生の
カニズムのパターンが記されています。

物事には、こういう流れとか筋道があるのだ。

それを読み取れるかどうか、
これが大きい。

けれども、
いまの世の中で易なんぞを学んだ、学ぶ人なんて
そんなに多くはない。
また、それを占いと誤解してる人も
多いと思います。

ひと頃、ネットで正義についての論争があった。
(いまでもあるんでしょうが)
所謂、独善正義というものの懐疑と不安です。

日本がどのように言っても
中国には中国の、韓国には韓国の、正義がある。
だからどこまでも平行線。
結局、正義なんてものには何の価値もない
と主張するものがいる。

そうじゃない。筋を通すか通さないか
その筋の良し悪しが問題であり、
良い筋なら必ずそういうふうに転ぶものなのだ。
悪い筋を無理筋で通せば必ず破綻が生まれ成就しません。
正義というものは、その筋の良し悪しを判断するためのものです。

どちらにも正義があるというよりも
その正義、その筋(道)が良いか悪いかだけなのだ。
それは決して利害じゃありませんからね。

いまの日本人は道筋やプロセスをすっ飛ばして
性急に答えを出そうとする傾向が強い。

橋下市長の竹島共同管理発言とか
石原さんの主張に苦言を呈しましたが
あれなんかもそういった筋道をすっ飛ばして
(正しい)結論を出そうするものからです。

最終的にそうなろうがどうなろうが、そんなことは先の話で
当たるか当たらないかは確立2分の1なのだ。
そういうのが当たった外れたっていうことに意味はない。
筋道を通せるかどうかであって
国家の場合であれば
政治家の仕事はそこにある。

私達は国家を動かす政治家ではありませんが
個人の範疇のなかでは、たとえば人生とか
子育てとか家庭とか人間関係とか仕事や事業では
責任者であり、決断実行を余儀なくされる。

そういうなかで知識や情報は必要不可欠なのだが、
この筋を読む、筋を通すということの重要性を
どこまで理解しているのかが問題なんだと思う。

昔は、こういうことを教えてくれる先輩がいたものです。
いまはなかなかいない。
いても鼻で嗤われるのかしれません。

因果応報っていうもので
その筋を見誤ったものは必ずしくじる。
これは鉄則だ。

よく、悪い奴がのさばるといって不平をもらす人がいますが
それは時間軸を通して観ていないからだ。
また、その本質の把握がどこまで正しいのかもわからない。

ま、他人のそういったことの確認作業に時を過ごすのも
もったいないわけであって、
大切なのは、自分自身がどう在るべきかなのだ。

運不運なんてそのときどきで如何様にでも判断できる。
遅刻して船に乗り遅れた!
その船はタイタニック号だった!
てなもんで、人生万事塞翁が馬。


では、八代亜紀の『雨の慕情』をどうぞ
作詞は阿久悠

心が忘れたあのひとも    
膝が重さを覚えてる
長い月日が膝まくら   
煙草プカリとふかしてた

憎い 

恋しい 

憎い 

恋しい 

めぐりめぐって 

今は恋しい





阿久悠は知っていた。