あかんたれブルース

継続はチカラかな

隣はなにを食う人ぞ

水羊羹はどこに行ったか?(5)


それでも、
なんで日本は、日本人はこうなんだろう?
やさしいのはいいけれど
どこか頼りない。

曖昧であやふやでへなちょこりん

その理由のひとつに
敗戦時のGHQによる戦後政策による
と指摘されている。

それは大いにあると思います。

アメリカ人は日本進駐にあたってよくよく日本を研究してきた。
そのテキストがベネディクトの『菊と刀』だと
いわれています。

要約すれば

日本人は礼儀正しいといわれる一方、
不遜で尊大であるともいわれ、固陋である
と同時に新しい事物への順応性が高いともいわれる。
また美を愛し菊作りに秘術を尽くす一方では、
力を崇拝し武士に最高の栄誉を与える。
それは欧米の文化的伝統からすれば矛盾であっても、
「菊」と「刀」は一枚の絵の二つの部分である。
民族の思考と感情から出た習慣と行動には
必ず一貫性があるという。

アメリカはこう日本人を理解し
日本人が再び不遜、尊大に暴走しないように
タガをかけたか、枷をはめた、
いや断った。というのが正しいのではなかろうか。

それにまんまとハマってしまって
現在に至る。
仕掛けた当のアメリカ人もびっくりして
ときどき頭を抱えているのではないでしょうか。

なにを断ったのか?

国民の繋がりですかね。


日本は「村社会」である。とはよくいわれています。
ただし、これはマイナスの意味で捉えられるほうが多い。
しかしどんなものにも長短はあって
村社会がすべて悪いわけではないはずです。

日本の都市化や核家族化の弊害に対して
「下町人情」が懐かしがられたりする。
この下町人情もまた村社会のひとつではなかったか。
寅さんと寅屋の家族親戚一同や隣のタコ社長や和尚さん
などなど、あれは葛飾柴又の村そのものです。

戦前、もしくはそれ以前の日本の社会を
縦軸と横軸でみたときに
縦軸は主従関係から一家一門の父兄社会であり
横軸はこういった共同体コロニーだった。

この村社会をもっと踏み込んでみると
「講」というものがうきあがってきます。
これは結社のようなもので、

お寺(檀家)や神社(氏子)の宗教的な繋がりから
相互扶助団体(頼母子講・無尽講)など

地域によっては九州・沖縄、山梨などで盛んだったようです。
わたしの出身地でも沖縄同様に模合(モエーとかモエ)といって
主婦たちが月一回ほどお茶会や飲み会をしたり
また、今でもマチ金の銀ちゃんなんかは
こういった会に入っていたりする。

日本の信用銀行・金庫・組合や共済はここから派生したと
されています。

アメリカは
こういった横のつながりをも嫌って圧力をかけた。
博徒テキヤも財閥も解体しようとしたように
縦横のつながりを寸断したわけだ。

縦軸の財閥は生き残りましたが
博徒テキヤ暴力団に変容していきます。
そして横軸の結びつきも希薄になってしまった。

まあ地方出身者であれば
なんでもかんでも干渉する
狭い世間のあのしがらみの世界に辟易した経験から
都会生活による開放感はあったでしょうが、
長く開放されっぱなしだとなんというか人間関係の希薄さに
ときおりさびしさを感じたりもするものです。

それにかわるマンションなどの組合なんて微妙ですし、
なんたって挨拶ひとつ交わさないこのよそよそしさ。

東日本大震災の後で叫ばれた絆という言葉に
まっさきに眉をひそめたのもそのせいなのかな?

個人主義という言葉を日本人は履き違えたといわれます。

自由主義、民主主義同様に
それをすべてアメリカの戦後政策のせいにする論調も
ありますが、確かにそう仕掛けられたかもしれないけれど
想像以上の効果だったのかもしれない。

友達、先輩後輩、上司部下、はたまた恋人、夫婦、家族
縦と横の糸をもう一度再確認して織りなしていく
社会とはそういうことから成り立つのではないだろうか。
たとえ、そこに「利権」というものがあったとしても
それをどう扱うかはまた別の話であって、
懐疑し恐れおののいているだけが懸命な在り方ではないと
思いましたよね。

それは
人恋しい秋のせいなのかしらん?



(今日の格言)

縦の糸はあなた 横の糸はわたし
織り成す布はいつか誰かを
暖めうるかもしれない

中島みゆき「糸」より