あかんたれブルース

継続はチカラかな

笑う犬



通常、夕飯時の7時からのゴールデンは
2時間スペシャルだろうが3時間だろうが
わたしは30分から1時間ぐらいしかもたない。飽きちゃう。

先日の歌の上手い外国人のど自慢はめずらしく最後まで
観ましたが、
それに続き昨夜のおバカ映像番組も観てしまった(汗)

ロシアの手榴弾を使った漁法とか
びっくり映像でモニターを粉砕したアメリカ人とか
笑えた。

おバカだねえ(笑)。でも平和だ。
鹿爪ばった有識者からはお叱りを受けそうだけど
音楽が世界を繋ぐなら、おバカな笑いも同様に
世界共通の平和の象徴かもしれません。鳩か?

王将で怒り心頭のオヤジの心情は理解できるけれど
(二階で餃子を注文したら一階で注文しろといわれた)
笑いがないのが残念だったわけです。

領土紛争もしかり。相手は中国人韓国人じゃないかと。
まるで親友や恋人や配偶者に裏切られたようにカッとならず
なはは(汗)また言ってるよと。
別にうやむやにしろっていうわけじゃありませんからね。

ネットなんかの議論や論争なども、笑いがない。
トンチもウィットもユーモアーもエスプリもなにもない。
実につまらん。おまけに見識も良識さえもない。
知識も怪しい。そのくせ物知り比べやるから頭が痛い。
白黒つけようってだけの勝ち負け面子の問題、
そういうんじゃ絶対永遠に決着はつかないし
発展性がまったくない。

「完全な時間の無駄」

あれ? 
昨日の記事では世の中に無駄なものは
ないって書いてしまったよな(汗)。

これもきっとわたしたちに大切なことを理解させるための
プロセスなのでしょう。

矛盾といえば、お笑いにもその国々の文化とかあって
万国共通とはいえない。
アメリカのパーティージョークとかフランスの下ネタ小話なんて
さっぱりわからない(涙)。
たぶん、言語の壁なんでしょうかね。
おバカ映像はそれを超えるビジュアルですから
わかりやすのかな?

日本のマンガやアニメが海外で受けるのもビジュアルが
付随しているからだろうか。

ただし、以前に江頭2:50イスラムのどこぞの国で
下ネタパフォーマンスをやって観客の怒りを買い
あわや暴動一歩手前ってこともあったので
下ネタには十分配慮すべきなんでしょう。
わたしがどうこういうことではありませんが(涙)。

世界共通の笑い。笑いについてもっと考えてみたい。
なぜ、笑うのか、和むのか・・・

きっと無意味で愚かだから?

人間はどこかで無意味で愚かなことを欲している。
そこに優越感が存在するのもあるでしょうが、
どこかでそれに興じるものたちを羨ましがっていたりもする。

自分の欲求を彼らに投影させているのかもね。
同時にそれをどこかで受け入れている。
「もう、馬太郎っておバカさんね」っていって
頭をなでなでしてくれる。
そういう心のゆとりというか、やさしさというか

笑いに平和の匂いを感じるのはこのためか?

そこに「豊かさ」という条件をあげる人もいるでしょう。
食うや食わず生きるか死ぬかではなかなかそんなことはできないと。

たしか、それは一理ある。が、だ
笑いというものはハイソサエティのなかからは
生まれないともいわれている。

アメリカ人は戦場という極限状態でも
ユーモアーを忘れなかった。
日本人だとビンタで非国民です。
日本が戦争に負けた原因は国力だけではなく
こういう笑いの精神の差ではなかったかと思います。

笑いは、貧しさや苦しみや哀しみのなかに生まれる。
だから救われる、だから価値があるのかな



(今日の名言)

笑う門には福来る