あかんたれブルース

継続はチカラかな

弱さを言い訳にするでない



トリックスターさん風のタイトルならば
『三人の名付親』をみる。かな(笑)

37年ほど前に一度観ています。
といっても1948年の作品でアメリカの西部劇です。
しかもジョン・ウェイン主演で監督はジョン・フォード
ルイ隊長なんかにいわせれば絶対に観ない作品でしょうが
わたしは、とっても好きな作品でした。

『赤ちゃんに乾杯!』とか『スリーメン&ベビー』の
元になった作品といっていいのでしょうか
原作はこれ以前にも何度も映画化されて
ジョン・フォードさえも
『光の国へ』、『三人の父親』、『ブロンコ・ビリーと赤ん坊』
と三度も映画化している。思い入れがあるんでしょうね。

この『三人の名付親』は西部劇ながら
派手なアクションシーンやガンファイトは皆無。
キリスト教的な宗教色の強い作品です。

この作品がさほど名作と記録されないのは
ジョン・フォード作品だからではないでしょうか。
それほどにフォードは偉大でたくさんの名作がある
ということでしょうかねえ。


三人のならず者が銀行を襲い、逃走中に荒野に見捨てられた
妊婦のお産を助け、その赤子を託されるというお話だ。
母親は三人の男を名付け親にして息を引き取る。
この三人がジョン・ウェインとハリー・ケーリージュニア、
ペドロ・アルメンダリスというジョン・フォード一家です。
その亡骸を埋葬するときにハリー・ケーリージュニアが
賛美歌を歌う。ん、んん・・・この曲は

なんとたんたんたぬきのキンタ!

あの不朽の下ネタ替え歌の原曲は賛美歌だったとは!

それから三人の過酷な荒野の旅が始まる。
なんといっても水がないのだ。
サボテンからとれるわずかな水を貯めるという
根気のいる作業から、その貴重な水を使って
赤ん坊にミルクを与えながらの旅なのです。
そして、一人倒れ、二人倒れ、最後に聖書の導きで
ニューエルサレムの街にたどり着く。

ラストはアメリカ映画らしくハッピーエンドなのですが
とにかく心温まる名作なのだ。
御承知のように、わたしはクリスチャンじゃないよ。


この作品を(キリスト教)宗教的な作品としましたが、
それ以上にアメリカ人というものを、人間を
考えさせられるものがあります。

たとえば、前半の初っ端で銀行強盗を行ったとき
ハリーは撃たれて落馬し左腕を負傷します。
合理的といわれるアメリカ人であれば
見捨ててもいいようなものを彼らはそうはしなかった。
貴重な水を足手まといのハリーに与えながら国境を目指す。

BGMに『駅馬車』の主題曲(アレンジ)が流れる。
そうあれは「淋しい草原に埋めないでおくれ」
(英国民謡「イギリスの水夫たちの唄「深い海に埋めないでおくれ」)

開拓民のアメリカ人はとても淋しがり屋だ。
でもそれだけじゃない。

このならず者たちは裏切らない。

なぜ?

天国に行きたいから?

いやそうじゃない。そうじゃないんだなあ。
結局、ハリーもペドロも埋葬されることなく淋しい荒野に
うち捨てられていく。
ハリーが息を引き取るときにね、ジョン・ウェイン
灼熱の太陽に背を向けてテンガロンハットを掲げて
日陰を作るのだ。そういうシーンが二箇所かあった。
ジョン・フォードの冴え渡る演出だけれども
とてもやさしい。やさしいのだ。

ペドロも足を骨折して、身動きとれなくなってしまう。
ああ神よ、このような聖者をあなたは天に召されるのか。
キリスト教で禁じられているいう自殺でペドロは勇者となった。

そしてジョン・ウェインは彼らを残してエルサレムを目指す。
彼には使命がある。何度もくじけそうになるけれど
それを果たそうとして。
それは栄光か名誉か強奪金の独り占めか
いやそうじゃない。
人間の、己の尊厳を守ろうというものではないのかなあ。
そして守るべきものがあった。
決してそれはエゴじゃないんだな。


わたしはたくさんの裏切りの場面を目撃し経験してきた。
そのときに用意される弁明は「弱さ」だという。
鼻につく言い方に聞こえるかもしれないけれど、
わたしはそんなものに価値を見出さない。

弱さは必ず裏切りを冒す。


なぜあのならず者たちは裏切らなかったのか。


さびしかったのさ。

とてもひとりでは生きていけない。
それを彼らは知っていたのだ。
無法松と一緒なのだ。

淋しい草原に埋めないでおくれ

ハリーもペドロも淋しい荒野で朽ち果てたかもしれないけれど
決してさびしくなんかない。

そんなのたかが映画の作り話って思うか?

わたしは思わないのさ。 

もし再放送する機会にめぐり会えたら
もしあなたの町で200円のDVDでこの作品が売られていたら
よかったら観てみてください。
馬太郎お勧めの心に残る名作の一本です。




(本日の名言)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
日本映画タイトルより