あかんたれブルース

継続はチカラかな

エロスの糠床

恋のクォーターバック(3)


ソウルメイト。
これは男女間の恋愛だけに限ったこと
じゃありませんからね。
とまず、布石を打って

男と女
セックスについて語る。
難しいテーマなので、書くのに気合が必要だ。
では、いきます。

恋心、男と女の間には深くて暗い川がある。
その架け橋はプラトニック
そしてセックスだ。
これが一体化すれば問題はないのですが
プラトニックとセックスは対極にあると
考えられてしまう。
特に日本人はその傾向が強い。

明治期に「Love」が輸入されてきたときに
日本人はそれをどう解釈してよいかわからなかった。
クリスチャンじゃないから聖書の愛もピンとこない。
まあ、なんとなく「愛」という言葉を当てはめた。

さらに、戦前の『無法松の一生』という作品で
混乱と誤解と分別が流布された。
プラトニックラブとセックスの領域問題だ。
どこかで、前者は清く正しく健全で
後者は下品で猥褻で不純で恥しいものされた。

だから寅さんがマドンナを抱くことはない。
観客はそれでヤキモキしながらもホッとする
わけです。

建前と本音的に区別、分類、分別されている。
だから、本当に好きだとなんとなく抱けない
後ろめたさが生まれたりする。
中島みゆきの『しあわせ芝居』で
相手の男の心を探るために部屋を訪ねていいかという
質問はそういった確認の意図があるわけだ。
その答えがイエスだったことで、みゆき嬢は
ああ、この人の私に対する気持ちはそれぐらいなのね
と値踏みして、落ち込んだという切ないバカな話。

みゆき嬢でもこれだ。

それをクリアするためは
スイッチを切り替えないといけない。
プラトニックチャンネルから
セックスチャンネルに90度ガチャッと
切り替えないといけない。
NHK1chで『ローマの休日』やってたら
TBS6chの『昼顔』に切り替える
ヘップバーンからドヌーブに切り替える。

なんだかんだいっても
こういうメンドクサイ意識は大なり小なり
みんなもっているものだ。
せいぜい芸術とか反戦・平和とかが、
それを助太刀するけど
わたしらはさほど芸術を理解しません。
ヒッピーは不景気でホームレスに変わった。

それより巨乳やマッチョにひれ伏すわけだ。
否定してもさほど効果効用はない。
開きなおってドドンパか
むっつりスケベか
罪悪感を背負うセックスコンプレックスか
あなたはどれだ?

こういった矛盾から
愛について真面目に語るとき
セックスは人質にされてしまう。
「愛がなくてもセックスはできるのよ」
とかね。


恋人から夫婦になると
こういった問題が法的に解決されます。が、
法的に解決されようが、精神的には解決されない。
むしろ、義務化するから厄介なのだ。
金曜と土曜と水曜日は夫婦生活の日。

それに戸惑うイブもいる。でも
「夫婦だから断っていけないと思っていました」
なんてよく聞きます。困ったもんだ。

日本人の離婚の主な理由は
性格の不一致ということですが、正確には
性(セックス)の不一致だといわれる。
いわゆる、肌が合わないのだ。
強弱がある。個人差です。
と同時に、セックスに対する価値観の相違があり、
また双方の信頼関係も大きいでしょう。

だから、先日例として紹介した
夫婦でアダルトグッズを相談しながら物色する
カップルは、羨ましいわけです。

でも、一般的にはこういった夫婦をバカにしますよね。
「いやあねえ、」とかいって軽蔑する。

それ、間違ってるよ。


ソウルメイトというか理想の相手の選び方は
プラトニックなのにセックスしたくなる、相手だ。
これがリトマス試験紙だぞ。
割り切らない、スイッチを切り替えない
そんな相手。

え?若ければ誰でもOK?

そりゃあ邪念だって。
骨董市で紛い物をつかまされるのと同じ。
まあ自己責任だから、
それはそれで別にいいんですけどね。

そういう相手をみつけられるかどうかは
一生を左右することですから
宝くじに当たるぐらい、いやそれ以上大きい。

そうそういません。断言しちゃう。

私達は、どこかで
セックスでもなんでも
「割り切って」しまっていないだろうか?
そもそもこれが不味いのだと思う。

たとえ、自分たちがしくじったとしても
こういうことをね、子供には
伝えておきたいよね。