あかんたれブルース

継続はチカラかな

至福の降臨フリーダム

恋のクォーターバック(5)


セックスの魅力・誘惑というか欲求は
快楽ですよね。
これに異論はないと思う。ないだろう。

セックスのときに
うんこしたくなっちゃうと萎える。
セックスと脱糞は対極に位置している。だろ。
まったく相反するものだ。(スカトロは別問題)

しかし、うんこ我慢してて
トイレを探して
やっと見つけて、間に合ったあ!
ブリブリ。気持ちいいいいいいいい!

これは快感ではないか。

相反するものでありながら、結果は同じ。
これいかに! 

ここからはじまります。

至福というものがある。
セックスも脱糞も放尿もその刹那は至福だ。
(痔の人は別問題)

これは緊張からの開放です。
そこに至福がある。

その至福とは開放された、自由だ。
人間の究極の欲求(欲望)は自由にある。

話を集約させて整理してみよう。

人間は生まれ出でて様々な不自由を余儀なくされる。
(↓)
その一番のしがらみは自我でもある。
(↓)
人間が渇望するのはそこからの開放だ。
(↓)
人間の求める幸せとは自由なのだ。
(↓)
それは自我から無我の境地を求めることでもある。
(↓)

しかし、自我を否定してしまうと
(緊張感がなくなって)
うんこもしっこも垂れ流しになってしまう。
(幼児や痴呆老人がそれ)

そのときの表情は恍惚となり、
その心境とは至福そして無我。
(ということは痴呆老人は本人至福?)
ただし、自我があったら(戻ったら)、
「とんでもないことをしでかした!どうしよう」
と恥しがる。


セックスは恥しい。
けれども信頼しあえる相手とだったら
羞恥を超えることができます。
これが秘め事です。契りといってもいいかな。
秘密の共有こそが契りなのだ

でね、そういった信頼関係を構築するのは
なかなか面倒なものです。
手っ取り早く手近かですませてしまいたと
合理的(?)に考えてしまう。
セックスから精神的なものを取り外し
肉体的な刺激だけに特化させる手法です。
(分別して割り切ることでもある)

ところが、快感というのは脳が司っています。
脳は精神に支配されていますから
生理的な快感だけでは満足度も低い。
そして飽きる。

もっと強い刺激へとエスカレートさせていく。
でも循環していませんから行き着く先は破滅なのだ。
もっともそこまで刺激を追及させる人は少ない。
ほとんどが、それ以前にそれ以上を望まない。
こんなものだと諦めてしまう。

刺激じゃないんだ。
方向性が違う。

開放、リラックスにこそ意義がある。

人間は自我のなかで
(現実社会・環境・常識などの)
しがらみに雁字搦めになってて
緊張して硬直している。

そういったしがらみから解きはなれたい。
自由になりたいのだ。

その時が、その瞬間が、至福なのです。

そんなことできるの?
愛し合うことでそれは達成できる。