あかんたれブルース

継続はチカラかな

ハートブレイク桃色鮭

恋のクォーターバック(6)


ここで、セックスに対する捉え方
認識を考え直してみたいぶう。

わたしたちはそれを性行為と直結するけれど
セックスを「性」としてみて
りっしんべん「小」と生まれるで表しますぶう。
りっしんべん「小」は心の働きを意味するぶう。
生きる、生まれる、心の動きが性なのだ。

たとえば、親が我が子に対する
いや血が繋がっているいないは関係なく
幼い子供に対する慈しみも性であり
年寄りが孫や子供対する愛でる気持ちも性。
友情も友愛もみーんな性だぶう。
これについてはまた次回深く掘り下げます。

仏教ではそういうものもすべて煩悩としまするぶう。
仏教がなぜ煩悩を否定するかというと
心の動きが問題なんだな。
すべての苦悩はこの心の動きが原因だとする。
中論というのは相対的なものの考え方を
やめれば悩まないという理論だぶう。

そりゃそうだろうけれど、
そんなの無理だって(汗)
しかし、そんなに悩むことがダメなのか?
悩まないほうがむしろ恐いよ(汗)
これはあくまでも前提であって
本来の仏教徒だったらそこまで煩悩を否定はしない。
むしろ、そうじゃない人がそれにこだわってる
ケースが多いぶう。


さて、セックス(性)の快感には
時間の経過と変化が関係するといいます。

たとえば、料理をする
洗い物や片付けをする
洗濯なんかもそうだし(家事全般だなあ(汗))
造形とかクリエイティブな作業もみんなそうだ。
その逆の破戒だってそうなんだろうね。
作った料理を食べるは破戒かな。
子供がプラモデル作って、壊す。あの欲求。
戦争なんかもそうかもしれない。

素材を調理して料理して盛りつける。
この時間の過程と変化によって完成される
これが快感なんだと物の本には書いてあったぶう。
掃除もそうだ。
散らかった部屋がどんどん片付いていく。
ここに快感があるわけだ。

これができない、苦手な人は
前頭葉に支障をきたしているといわれるぶう。
だから感じにくい。セックスに対しても
あまり興味を示さないぶう。
そんなことないよお、という人がいたとして
ただ行為をやればいいってもんじゃないからねえ。
そういう刺激を追及するのは別コースだって
話は昨日の記事に書きしました。


セックスをただ性行為だけと捉えると
必然的に不自由、矛盾が生まれる。
要は、快感とか恍惚は脳の働きですぶう。
心の働きね。だから性なの。(←ここ試験に出ます)

そういうのは緊張からの開放なんだって
これも昨日話しましたよね。

また、北野武は何が一番気持ちいいかというと
夢精だっていっていたのには説得力がある。

またまた、わたしの知り合いに
美しい景色、絶景でイク女性がいます。
これは特殊体質かもしれませんが
レアではなく樹木と性交する話もある。

宗教儀式でトランス状態になるなんていうのも
ありますよね。ケチャでしたっけちゃ?


貝原益軒という江戸時代の儒学者がいました。
名前ぐらいは聞いたことあるでしょう。
(健康)教育書の『養生訓』が有名です。
そのなかに
「接して漏らさず」というのがあるぶう。
訳せば「セックス漏らさず」だ。
セックスしても射精しないということ?
なんとまあストイックな!
どうせガチガチのクサレ儒者の戯言でしょ。
と思うかもしれませんが、
この人、若い頃はそれはもう極道で
色道を極めた人だったそうです。
貝原損軒と名乗っていたほど。
因みに夫婦仲円満だったとか。

わたしは貝原益軒が説く
「接して漏らさず」は健康とか長生きのため
だけに唱えたとは思えないんだなあ。
それだけのことだとすれば
はじめから「接するな」としたほうが
いいんじゃないかな。
接して、おいて、漏らさない。ですよ。
セックスして、射精しない。ですからね。

ふむ・・・

(書きながら考える馬太郎)

ははあ・・・鮭だな

(ここで煙草吸ったり半時間)

結局は快感の出何処は脳ですよね。
人間は死ぬとき脳から麻薬成分を分泌するとか
究極の快感とは「死」にあるようです。
生→死への変化
それじゃあ鮭になってしまう。
わたしたちは鮭じゃない。
その快感をもっと掘り下げれば
生→死→生・・・の循環だ。