あかんたれブルース

継続はチカラかな

生きること死ぬこと愛すること



戦後、日本は価値観を大きく変えました。
変わったんじゃない。変えさせられた
というのが正しい表現かな。

戦前はすべて悪である
ファッショ(ファシズム)、全体主義
軍国主義・・・

また即物的な思考法が信奉された。
損得で考える合理主義です。
責任回避の無責任主義はここから生まれた。

こうやって社会と個人は劣化していったのだ。

そういった日本人の変容を
GHQの戦後統治政策によるものだと指摘される。
それが3R5D3Sです。
日本力を削ぐことに目的があった。
3Sとは補助政策で
1.スポーツの奨励(Sports)
2.セックスの解放(Sex)
3.映画の奨励(Screen)です。

たしかに、
巨人大鵬卵焼き、邦画もそうですが
ハリウッド映画に強く感化された。
しかし、セックスの解放って・・・どうよ?

日本の、日本人の、セックス観は複雑です。
なんとなく戦前は超固いと思われがちですが
中国同様に二面性がある。
建前と本音ですかね。

実は日本人はセックスに肝要な民族だった。
昭和30年代まで夜這いがあったわけです。
夜這いについてはこのブログでも二度ほど
特集しましたが、
現代人の我々にはなかなか理解できない理論です。

それを単に民度が低かったとか
女性蔑視とはいえないところが厄介なのだ。
(そう決め付ければ簡単なんですけどね)
ただでさえLoveの解釈が曖昧な日本人ですから
そこに解放ったって(汗)
それも即物的で娯楽とセットにされてしまった。

GHQの政策は、親米は勿論ですが
日本人を自立しづらくするものです。
依存型にすることで「精神性」を曖昧にしようと
目論んだわけだ。逆化か?
精神論なんて古い=悪い。
国歌も国旗も古い=悪い。

セックスから精神というものが切り離されてしまった。
建前では愛は崇高で=セックスですが
それはあくまでも建前でしかありません。
それを裏付けるものはないわけだ。

なんでわたしたちはセックスがしたいのか?

「そんなの当たり前」「本能でしょ」
「気持ちいいから」などなど
そんなことにこだわること自体、野暮。とか
考えたり話題にすることさえ嫌がられる。
で、割り切るんだ。
これはこれ、っと。そんなものだと。

わたしは、
セックスを過大評価、過小評価してはいけない。
と考える。

戦後、大きく変わってしまい、封印されたものに
「生死観」というものがあります。
ここにも二極論的な生は善で死は悪というのがある。
死を考えたり語るのはタブーです。
多分、戦前の神道の影響なのかなあ・・・死は不浄。

いろいろ考えてみると
どうもこの生死観とセックスはリンクしている。
つまり、セックスから切り離された
精神論っていうのは生死観じゃないか、と。

これはいじめ問題と同じだ。
ああしろこうしろと禁じても、なくならない。
精神論、生死観が欠けてるから
やる奴はやる。
こう書くとセックス=いじめと誤解されそうですが
そういう意味じゃありませんからね。

するとかしないとか、
しろとかするなということじゃない。

性の暴走というのがあって
下手に禁欲的になると、いじめや暴力
果ては戦争にまで発展する。
そういうのと比べたらセックスなんて害は少ない。
だからGHQはそれを推奨したんだ。

わたしたちの脳は一割二割程度しか使われていない
といわれていますよね。
そういった意味で、わたしたちが知る
セックスの快感も一割二割程度ではないのか。
ま、個人差があって行ってる人は行ってるでしょう。
(何処へ?)
セックスを=局部摩擦運動と考え
飽きて刺激を追及しても結局は満足はしません。
これは断言できる。

映画『ムーランルージュ』で
こう歌われていました。

♪この世で人間が得られる最高の歓び


それはどんなものだろう・・・