あかんたれブルース

継続はチカラかな

幸せの法則

大人の恋愛講座(3)


かおりくんが年明け早々に二ヶ月ほど
入院するそうです。
うつ治療の最終仕上げになってくれたらと思い
彼女の最近の混乱収拾のヒントになればとの
意味をこめての記事だ。

彼女の友人は学会の人で
旦那のDVに苛まれ、離婚
その後も経済的な問題で前夫の会社でバイト
最近は子宮筋腫摘出手術を行ったとか
なんか不幸を絵に描いたような人ですが
>それともうひとつ彼女はちょっとした悪さもしている♪

そうな。
それに対してかおりくんはなんとも言えない。

でも、彼女が言った次の言葉に動揺を隠せない。
「遊ぶときに「気」を入れたらアカン!割り切る!!」

>好きでもない人とHするの?
>私は そういう芸はまだ身についてないというか
>つける体力 気力がない

と言いつつも
この達観したような友人の悟りの発言を
かおりくんは成功事例と若干捉え、
混乱したわけだ。


では、参る。

人間の99.9%は三つの段階に生きている。
(1)運動・本能重視型人間
(2)感情優先型人間
(3)知性優先型人間の三つです。

かといって、100%(1)ってことでもなく
(1):(2):(3)の比率の問題だ。
ちなみにこの段階は全部で七段階あるそうです。
この三段階の俗世界と第四段階の差は大きい。

第四段階の人は自己確立ができてる人間ね。
なかなかいないんだよ。
自己申告するのは簡単だけどね。
ま、誰もそれを否定する権利はないんだけどさ。

セックスの話です。
私たちはセックスを生殖とか欲求解消(本能)と
考えているけれど、それだけじゃない。
セックスは愛し合う行為であり、
それは自分以外のものに気を行かせるものだ。
このことで、自我から解放することができる。
つまり、愛し合うセックスには
次の次元(段階)へいくための手段
でもあるともいえる。

たださあ、これが難しいんだなあ。
本能とか感情とか知性までもが邪魔する。

この彼女は知性型タイプだったと思う。
だから、気を入れないという
手段を用いたわけだ。

だって、そんな気を入れられる相手なんて
ホイホイいるわけないじゃない。

愛あるセックスというけれど
セックスは愛がなくてもできるし、
むしろ愛がないほうが楽なんだ。

若者がセックスに奔るのは
好奇心や体力気力の充実から運動・本能が
勝ちすぎているからだ。
(最近はそれも衰えている人が多いとか)

でもさ、時間や経験を重ねて、そんなものじゃあ
満足できなくなる。が、なにをもってそれを
満足できるのか、わからない。
形式だけにずっとこだわってるだろうし、
それはうり坊がいうように「自己肯定感」に
問題があるといえば、そうだとも思う。

問題は、ここではまず不倫だろうがなかろうが
本気で愛せてるかどうが、ここが問題です。
そんな気を入れないというテクニックをもって
割り切ろうという方法は不毛なのだ。

比較的鷹揚な馬太郎がこれに関しては
厳しく言及しちゃう。のは、
そういった行為は単なる消耗であって
健康も害すだろうし運を悪くしてしまう。


循環させないとだめなのです。
挿入だけがセックスじゃないんだぞ。
抱きしめたり、手を繋いだり
相手のことを大切の思ったり
なにかしてあげたり
そういうふれあいすべてがセックスであり
愛なんだ。
そこにエネルギーが生まれる。
それが交流するとある物質を生みだす。
それは電気反応を起こす実在するものです。
これが人間に必要なものなんだな。
食物摂取でエネルギーを作ることは知られている。
でも食物によるエネルギーだけじゃなくて
こういった精神的なエネルギー補給が必要なの。
人間はね。それが不足すると
体を悪くして、弱わってしまう。

この件、わたしが思いつきで宣まってるのではなく
ちゃんと学術的な論拠があってことです。

幸福を得たいと思うならば
「愛」、そのエネルギーを用いるしかない。
それは求めてばかりじゃだめです。
与えてはじめて得られる。
当たり前の自然の法則なのだ。