あかんたれブルース

継続はチカラかな

無理なことの正体



もっと実になる話にせんとならん

「しない事とできない事ではどう違うのか?」

孟子が斉の宣王に招かれて質問されました。

「地球を小脇に抱えて大海をまたぐことは
 本当にできない。しかし、
 マンションの住人に挨拶ができない
 というのは、できないのではなく
 しない、のです」 『孟子』より

できるのにやらないだけ
そこにはつまらないプライドがあるだけじゃないか
孟子は説きます。
さらに、
人を愛するのも同じで、身内の者は愛せても
他人を愛せないのは、愛せないのではなく
愛さないだけである。
他人を愛さない人のもとには人は寄り付かない。

紹介してくれたのは我が尊敬する宮城谷昌光でした。
『中国古典の言行録』より

この後を引き継いで

この人に挨拶できないという症候群は
怯えの保身です。
他人が怖いのだ。
虚勢を張って私はお前より上だと主張してる
とても幼稚で恥しい行為です。

頭を下げるということも同じ。
中国人とアメリカ人は決して詫びないそうです。
それぞれに国民性とか国の歴史とか
色々な事情もあるのですが、
だからといって日本人の美徳を批判されるのも
なんかね・・・

日本人も鎌倉時代頃は誤らなかったそうです。
謝罪には金銭が伴ったので
そうそう詫びなかったとか。へええ
現在の日本人の謙虚さが培われたのは
徳川時代からなんでしょうかね。
そう考えると国民性って不思議だよね。

そうアメリカの歴史って浅いし
もともとはイギリス人の移民だったわけで
それに世界各国から様々な人種が寄り集まった。
ここに民族性っていってもねえ。

国民性は環境で変わるのだ。

で、最近の日本人は・・・
礼儀もだめ、誠実も信義も地に堕ちてる。
すぐ人のせいにする。

孟子から宮城谷昌光がいうところの
人とか愛とかは、幸運幸福のことだ。
引き寄せるってことは
そういうことなんだと思う。

「そういうてもやな、嫌な奴とまで
 付き合うなんて、嫌や!」

ルイ隊長そうじゃない。
これは、姿勢の話であって
自分からガードを作っては良いものは
引き寄せられないってことだよ。

「変なんが寄ってきたらどうすんのんな」

そんときはちゃんと断てばいいじゃないか。
それが苦手なんだろう。
煩わしいことで、めんどうなんだ。
まず、吉凶入れてみて、
ああ、こりゃあかんなあと思ったら
お断りすればいい。
難しいかもしれないけれど、これは訓練だと思う。
最初から満員御礼にすることではなく
受け皿をすこしずつ大きくして間口を広げていって
付き合っていきたい人
そうでもない人と考えるのはそこからの話で
いいんじゃないかなと思うけどね。
わかったあ?

「わからへんわ」

えええっ(汗)

「そんなんでけへんもん」

確かに
わかってもできないことはある。
性急に最初から君子になろうとせずに、
それを少しでもできるようにするのが
人生の目的ではないだろうか。
工夫だよ工夫・・・
こら、寝るな。