あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛が勝つ



結局、なんだかんだいって
めんどくさい煩わしいが先に立つ
人間関係ですが
これが幸運の鍵だとする(「孟子」)
ならば考えてしまう。

ところが、現代人の悪い癖で
一足飛びにそれを手に入れようとする。
誰も博愛だなんていってないのに
先走って
極端な発想が生まれる。

頑なになるか博愛か
プロセスというか段階がないのだ。

否定することをやめる
すべてを受け入れる、肯定するのだと
いう人もいるけどねえ。どんなもんだか・・・

受け入れた後始末が厄介だっていう人も多い。
この辺は『易経』の「咸」→「恒」→「遁」
という自然のプロセスを知れば楽になると思う。

いずれにしても
悟りをひらこうとか
いい人になろうとするとか
自分の力量を無視したストイックな在り方に
問題があるんじゃないかなあ。
(お手軽ワープ航法といいます)

人間なんて代物はみんな未完成なものなんだ。
自分に「足るを知る」冷静さと謙虚さが大事で
それが足らないのが現状なんだと思う。
 
易経孟子論語だと
こういった儒教的な東洋哲学を
古臭く非科学的なものと笑う人も多いけれど
これは思想哲学というよりも
科学的な自然力学の法則性を説いたものだと
思います。

昔の日本人は寺子屋四書五経
一般基礎教養として身につけたものですが
いまじゃあねえ・・・
信仰さえも薄らいで
自分がどの宗派の檀家であるかさえも知らない。

12月24日にはクリスチャンで大晦日仏教徒
明けて元旦は神社参りで神道だ。
慌しく節操のないのが日本人です。
それはそれでいいのですが、
なんか心棒のようなものがないのでふらふらしてる。

ネットワークネットワークといって
人と人との繋がりの重要性を叫ぶ反面
それを断つことに罪悪感を持っている。

そんな姿勢でいると
しがらみばっかり増えて身動きとれなくなるぞ。

悪縁は断つ。

こういった魂胆がないといけない。
じゃないと大切なものは守れない、です。

善悪の価値基準っていうのもまた
問題なんでしょうが
「事の善悪は、その人の決心ひとつで定まる」

これは勝海舟小村寿太郎に贈った
言葉から生まれた。
「みんなから爪弾きにされ
 場合によっては憎まれるかもしれないが、
 よい子になろうなどと思うと、間違いが起きる」

朝鮮でのクーデターの後始末に向かう
小村に勝海舟はこういってエールをおくった。
そして、こう付け加えている。
「天下みな、お前さんの敵になろうとも
 この氷川のじいさん(勝のこと)は
 お前さんの味方だと思っていなさいよ」

愛だねえ(涙)。
「士は己を知る者の為に死す」
なんていうけれど
人間はみな認められたい。
ではいったい誰に認められたのか?

自分が認める人に認められたい。
そんな相手いる?
いたら幸せだよね。いなかったらさびしい。
誰に認められたいのか?

自分自身に認められたのだ。

だからこそ、好きな自分でいたい。
そのためにがんばれるわけじゃないか。
だからめんどくさがっちゃいいけない。