あかんたれブルース

継続はチカラかな

パンのみにあらず



>恥ずかしくない生き方

ルイ隊長がコメントに残した言葉だ。
誰に対して、
大切な人、信じあえる仲間
さまざまだけれども
やっぱり、最終的には自分に対してだと思う。

これを外すとつらいのだ。

楽だなんで与太を唱えるものもあるけれど
これを外してしまうと
自己愛が生まれない。

愛は自己愛と無償の愛によって生成される。

人間は一人では生きていけないし
愛がなくては生きていけない。
だからこれを外すとつらいのだ。

恥しくない自分
その恥とはなんだろう?

我が友アレックスは
「卑怯」なこととした。
逃げることだともいった。

様々な場面で逃げたくなるときもある。
そこを必死に耐えるのだ。
それでも毎回うまくやれるわけでもない。
ときには逃げただろし、卑怯なことも
やったかもしれない。

でもその後がつらいのだ。
自己嫌悪で悶絶しちゃうんだな。
あいつはそれを知っている。
だから必死になって踏ん張るわけだ。

ストイックではあるけれど
わたしはこういう人間が好きだ。
そういう生き方をしてる人間はおのずと
カタチに現われる。

観ている人は必ず観ているものです。
そして引き寄せられる。

そうでない人間は嫌がるだろうね。
自分を肯定するために
こういう人間を否定するだろう。
つぶしにかかるか、避けるだろう。

別にいいんじゃない。胸を張って往こう。

「行いは己のもの。批判は他人のもの。 
 知ったことではない」(by勝海舟


わたしが恥と思うことは
浅ましさ、かな。卑怯と似てるけど
人間の浅ましさというのが嫌だねえ。

卑怯は時と場合によって誤解されることもあり
逃げることも必要なときがある。
また、それに関する言い訳もあるだろう。

しかし、浅ましさは弁明の余地がない。
常套句の「本能」を持ち出しても
ビクともしないね。

これを外すとつらいのだ。
これを許すとどうでもよくなってしまう。
生きていけない。

長生きしたいわけじゃない。
つらいのが嫌なだけ。
それだけ
レーザー治療もつらいのだ(涙