あかんたれブルース

継続はチカラかな

知性と感性の融合



いじめや体罰の問題を含めて
また、日本人の劣化や様々な社会問題を
解決するには抜本的な教育改革が必須です。

これまで、大学入試制度改革や
普通科改組などを訴えてきましたが
これは実際に動き出しました。
数年後にはたとえば都内の普通科高校は改組され
大学受験制度も大きく変わるはずです。
そういうことに対して懸念や批判をするものは
状況をまったく把握していない、古いのだ。
そのうちこの事態を目の当たりにすれば
沈黙するでしょう。

そういうのはほおっておいて、サクサク先にいくぞ。

制度改正というものはハード部分の改正です。
ハードだけ変えても効果はあまりない。
それに歩調を合わせてソフトも変えないといけない。

なんで日本人の基礎学力は低下したのか?
なんで応用力のない屁タレなマニュアル人間が
多いのか?
なんでモラルハザードな者が跋扈するのか?
などなど社会性の低い社会人がこれ以上
増加した日には日本は国家として崩壊だ。

でね、その原因には知性教育と感性教育
バランスがとれていないことにある。
通常、知性教育といえば
国語算数理科社会英語の五教科をいう。
対する感性教育
音楽美術なんかだね。

これまで
音楽や美術は音大美大を目指すものは別として
あんまり重要視されてこなかった。
「音楽家になるわけじゃないし」とか
「絵描きじゃ食えない」とか
まあよくて学校の先生ぐらいだろうって。

ところがさ、この音楽美術などの感性教育
非常に脳を活性化するわけだ。
アメリカの名門ハーバード大学では
一年生時に美術を必須教育にしているほどです。

東大元講師が舌を巻く
馬太郎がなぜこんなに頭が良いか?
わたしが美術系の出身だからだ。
使ってる回路がたぶん違うのでしょう。

でね、日本の教育は知性教育つまり五教科に
特化し過ぎてきた。だけじゃない
受験という大前提のもとに記憶偏重に陥った。
その結果がこれです。
しかも、その記憶があてにならない。
受験勉強を含めて学習を苦行としているので
脳が防衛(逃避・拒絶)反応を示し
なかなか受け付けない。また一時記憶したとしても
受験や就活が終わると綺麗に消去されてしまう。
人間は嫌な記憶は忘却させるように出来てる。

また、記憶されていたとしても
その記憶の点と点が結ばれていないので
応用力がまったくないという現象を生んでいる。

そういう考察力の低下は感性能力が
発達していないためです。

このあたりは議論の余地はなし。
すでに社会現象として立証済み。
問題はどうやってそれを是正するかにある。

学力低下からゆとり教育が批判され
小中学校の授業時間数が増やされましたが
結局国語や算数を増やしただけで
こんな安易な方策でことで
解決できるものじゃない。

かといって、これまでのタテ割り思考で
性教育と感性教育の時間コマ取り合戦では
物理的に二進も三進もいかない。
各教科の先生にも利権としてそれがあるからだ。
ついでにいえば、五教科が信奉される理由に
採点がしやすいという教育機関の都合も無縁じゃない。

そこで、この抜本的な解決策として
知性と感性の教育を融合させてしまおうと
目論むわけだな。

教科書を大刷新してしまおうと。
無論、文科省の教育指導要領の改正も含めて。

つまり、算数に美術や音楽を融合させてしまう。
音楽と英語を融合させてしまう。

歴史なんてものは中学で一通りやっているのに
高校で再度同じ事を繰り返す必要はない。
高等学校では専門的歴史教育として
美術史、音楽史、建築史、思想・宗教史などなど
個別的に学ぶ。

数学は計算問題に特化せずに
その方程式の生まれた由来や物語から応用までを
重視した教育とかです。

たとえば、現在の英語は文法筆記がメインで
ここまで授業数を裂いてもまったく不毛に近い結果
これに画期的な効果があるのが
「多読」というもので
英語の絵本をたくさん読むことで
飛躍的に英語力が身につく。

わたしはこういった事例や企画をもって
26日にある会合に参加するのですが
そこでみんなにも相談というか考えてほしい
力を貸しておくれ。

知性と感性を融合させる、できる
イデアや事例があったら教えてほしいのだ。
灘校の『銀の匙』みたいなものとか。
体育の事業でスコアブックの付け方をやるでもいいし
ダンスしながら英単語を覚えるでもいいよ。
ま、ひとつよろしくお願いします。