残酷な優しさ
しばらく教育改革の話で固め打ちしようかと
思ったのですが、先週からなんだかんだ
周辺で理不尽な話がありまして
よくよく考えると先月から数件・・・
なんで? たんなる偶然かあ?
いやあ違うなあ
トチ狂ってるよ、まったく
よくこんな非道理非常識が罷り通るものかと
で、これも教育のせいだなと思った。
そういう世間の一般常識や価値観が
拝金主義とか損得至上主義だったら
いくらでも逆説の損得論で喝破することも
できるんだけれど、
これが優しさや愛が絡んでいると
非常に複雑で厄介です。
愛についてはそれこそここで七年をかけて
記事にしてきてるけれど
なかなかうまく伝わらないもんね。
自分の非力をこれほど痛感させられる
ことはない。
愛は盲目というけれど
しかしマジで盲目じゃあ、シャレにならんぞ。
以前、ある女性から
「あなたのやさしさは残酷です」
といわれたことがことがあるけれど
その言葉そのままぶつけてまわりたい(涙)
もっとしっかりしろよ。
すべてをぶち壊してしまうぞ。
さっきのコメントでアレックスが
結局追い込まれないと変われないとあった。
わたしもまったくそう思う。
思うけれど、でもね、
変われる奴はいい。
それでも変われないものもある。
で、どうなるか・・・
法人ってわかる?
会社組織などを法人と表現してます。
そういうものはある種の人格があって生きている
ものと擬人化させて法人と名付けている。
かおりくんならこういのわかるよね。
会社が倒産(休眠)するってことは
法人の死を意味するのだ。
変われなかったからそうなったのだ。
人間も同じ。死んじゃうんだぞ。
それ以前に大切なものを失ってしまう。
わたしがどうこういっても
仕方ないのだけれど
その価値観や正論には無理がある。
無理があるから様々な支障が生じてるわけだ。
それは変化を余儀なくされているサインだ。
我慢じゃ解決しないのだ。
変えないと、変わらないといけない。
じゃないと死ぬまで苛まれて
死ぬまで追い込まれるぞ。
自分だけで
なんとかしようとしては
いけない。
それも自力
驕りであり、過信だ。